┐(´o`)┌
お盆の帰省を諦めたこともあり、神棚へのお供えだけはと、御神酒と剣祓いを
桂 (*1) 以後の最もすばらしい日だ (中略) 伊勢神宮──独創的な真の日本だ。日本固有の文化の精髄であり、世界的観点からみて古典的天才的な創造だ。
*1:桂離宮のこと
(伊勢) 神宮
はじめに外宮へ
アテネのアクロポリスを引き合いに出してよければ、日本はいわば日本の「アクロポリス」をもつ、──それは伊勢神宮である。しかし伊勢神宮 (なかんずく外宮が最もすぐれている) は、アクロポリスのような廃墟ではない (中略) 世界の建築家たちは、みずから親しくここへ詣でねばならないだろう (中略) まことに外宮は、──建築の聖祠である。
ブルーノ・タウト日記より
1933.10.1伊勢神宮参拝
日本の再発見 / ブルーノ・タウト
外宮から内宮へ、その途中を、、
内宮は久しぶりだなぁ
こちらも久しぶり✨すし久
御神酒と剣祓い
やはりその建築美をみる目は日本文化に内在する宗教感 (顕在潜在、意識するしないに関わらず) 、それはすなわち、そこから何らかの精神性を体験しえたか、しえなかったか に因るのかなぁ、、外国人の多くはその佇まいに 粗末でみすぼらしい掘立小屋 といった感想を持つようだ
ここら辺りに、外国人 "観光客" が伊勢の地に意外と少ない理由があるのかも?
ちなみに、その外国人には、A.フェノロサやL.ハーンも含まれる
とするとだ、仏像の美をたたえたフェノロサにして、そこに本来あるべき宗教的側面までは体験してはいなかった とみるべきなのか?? 仏像はお釈迦様のお悟りになっ内容を象徴するものだからねぇ ただ鑑賞するためのものではないのだし
外宮古殿地の佇まいが一番好きな僕としては、まぁ その程度 なんだろうね と思うしかないが
建築史家伊東忠太によれば、B.タウトような見方は、20世紀に入り袋小路に迷い込んだ西洋建築が、その打開としてオリエントに接近した結果にすぎないとしている、そこに創作のヒントを探ろうとしただけだというんだなぁ
ようは、
その前に立ってはいるが、その立っている者の生きている時代が違うから単に違って見えただけなのだとつきはなしているように思えてなかなかに手厳しいなと
美術で言えば、西洋画観点から日本画を見ているような感じ? 絶対視していないし、それはすなわち 本質 をみてはいないことと同義とでもいおうか、、例えばかつて 映画といえばハリウッドだった という時代性にただ左右されているだけ、もうそんな時代じゃないのにね というわけだ
その佇まいにしても、そもそもが芸術性云々の次元の話ではないし、あまつさえ千木や勝男木などは工法的に優れているに他ならないのだし
と、
ふと思ったり...
御朱印
今のところ書き置きのみの対応のよう
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