斎宮 [三重県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

御朱印風で何だかうれしい~

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そして、まさか、、


徳川斉昭公の曾孫にあたり、かつ、故郷鳥取とも縁の深い神宮大宮司を務められた徳川宗敬氏の名前も拝することが出来るとは✨✨


斎宮 (さいくう

いつきのみや」 とも呼ばれ、斎王の宮殿と斎宮寮 (さいくうりょう) という役所のあったところを云うようだ

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斎王は、天皇に代わり伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替りごとに皇族女性 (*1) の中から選ばれて都から伊勢の地へと派遣された

その斎王の歴史は古く、伊勢神宮の起源伝承で知られる倭姫命 (やまとひめのみこと) といった伝承的な斎王にもいるが、その制度上の最初の斎王は、天武天皇 (*2) の皇女になる大来皇女 (おおくのこうじょ) で、以降、後醍醐天皇の時代まで約六百六十年という長きにわたり続いたとある、またその記録には六十人余りの斎王の名が残されているという


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*1未婚の内親王、または、女王、または親王の王女
  なお、伊勢神宮の斎王は特に斎宮、賀茂神社の斎王は特に斎院と呼ばれた


*2第40代天武天皇は、伊勢神宮を今にある規模に整備したとされ、また、
  式年遷宮の制度化をなした天皇でもあり、その第一過回目の式年遷宮は
  第41
代持統天皇の代に行われた



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斎宮
三重県多気郡


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徳川宗敬氏といえば思い出深い、、

今のように神社仏閣を歴史散策目線で巡り始めたきっかけのひとつは、神宮大宮司の名前に徳川宗敬氏を拝したからだ

徳川家?!伊勢神宮に??!明治になっては国家神道の中心ともなった伊勢の大宮司に徳川家の方が??!!


また時を同じくして、



東京は両国の回向院さんでの長野善光寺さん出開帳の折りに、大本願 (浄土宗) の鷹司誓玉上人が来られていたけれど

ん?鷹司家の方??時の神宮大宮司も鷹司家の方が務められていたよね??!!


と、


神道と仏教、お伊勢参りと善光寺参り、明治維新後の天皇家と徳川家、、

まさか、そのような形で、表立っては見えないところで、実は世の中はつながっているんだなと、
ちょっとした悟りというか、渾沌とした世の中に希望めいたものを感じたよ



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