ところが、記憶を辿ってみれば慶応の昔のことである。
ある日、小石川音羽の護国寺に参詣したが、
その時たまたま本堂の一隅に書幅のかけてあるのを何気なく参見した。
(中略)
何ともかともいいようのないその筆跡には、ただただ敬服のほかはなかった。
近よってよくよく参見すると、それは何と弘法大師の御書蹟であった。
書法に就て / 山岡鉄舟
だから気になって護国寺さんでうかがったことはあるけれど、
弘法大師の御書蹟は今はないようだ、、戦災かな...
残念、、、
不老
徳川宗家十六代当主家達公筆の扁額だから、
鉄舟居士が弘法大師の御書蹟を参見した当時は無かったかも
ちなみに、
十六代様の書は都内では結構目にすることが出来て、東郷平八郎元帥に次いで多い?
神齢山護国寺
もちろん徳川家所縁のお寺さんだけど、新政府側の方々の墓所がやけに多いなぁというイメージが
ここら辺の理由はもう少し調べてみよう◎
ただ... 天皇皇后を除く皇族方の墓所である 豊島ケ岡御陵 が隣接するところから、
何らかの関係があるんだろうねぇ??
山縣有朋
大山巌
清浦奎吾
三条実美神道碑
大隈重信
御朱印
弘法大師霊場御府内第八十七番札所には、宝印がふたつ (°_°)??
弘法大師御縁日だから???最後に真言?も唱えていただけるんだぁと、
その時まで気付いてなかったよ
神齢山悉地院護国寺
真言宗豊山派大本山
東国花の寺百ケ寺東京三番
御府内八十八ヶ所第八十七番
新撰江戸三十三観音霊場第十三番
本堂内には三猿もあるけど、アレっ?と思いうかがった
日光がオリジナルというわけではないようだ、ルーツは大陸にさかのぼる