天澤山龍光寺 [三重県] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

書院の扁額 「坐忘亭」 をよく見ると、ほ~朝比奈宗源老師の書だねぇ✨

門標にある山号の 「天澤山」 は山田無文老師の書であった


天澤山龍光寺

 

一休さんを後小松天皇の落胤とするなら称光天皇は一休さんの実弟ということになる
また、侘び茶珠光流の家元でもあるようで、これまた一休さんとは縁が深い
ここ龍光寺さんは称光天皇の勅願寺だ

 

門標





「坐忘亭」 の由来

 

芥川龍之介の短編 「忠義」 にある徳川幕府第八代将軍吉宗公の治世時代に起こった

熊本城主細川宗孝 (むねたか) が江戸城内にて刃傷沙汰により命を落とすという事件を

題材にしたもの
その折りに、お家存続に尽力したとしてその神戸城主本多忠統 (ただむね) に

贈られた東屋風書院に付けられた名前のようだ

 

 

「方丈」 の扁額

 

うーん、、円覚寺さんにあるものとよく似ている (・ω・)?



 → 後日、円覚寺さんにお参りした際に確認したところ、やはり、同じ書を元にしたものだった↓
   どなたの書になるものなのか?ここらへんはまた確認してみよう ◎


 円覚寺大方丈扁額

 

 

涅槃図開帳式寝釈迦祭り

この日は年に一度の涅槃図開帳式寝釈迦祭り、

寺宝の白隠禅師の書や歴代徳川幕府歴代将軍からの朱印状など見応えがあり✨

中でも秀忠公の花押などは~✨✨ 素晴らしかったなぁ

その涅槃図は畳十六敷もの大きさがあり、

室町時代あたりまでは魔物扱いにされ描かれることのなかった猫が描かれていることでも有名らしい

もちろんガン見もしてきた (・ω・)ノ

その他本堂では三条実美卿筆の扁額が掛かり、あるいは、

第四十八第横綱大鵬関ともご縁があるようでその書の数々を、、

 

と、さすがは筋塀が五本線なお寺さんだなと

山門横には山県有朋の側近でもあった清浦奎吾の書になる石碑もあったね

 → 品川神社石標だったり、上野公園内や建長寺さんの境内でも見かけたことが


そして、、


 

 

三條実美といえば、

浅草寺二天門の扁額や靖國神社大村益次郎台座の書などもあるねぇ

 

でも何故龍光寺さんに???

 






御朱印




そしてそして、
 

 鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず、声あるものは幸いなり。
 斎藤緑雨


押井守監督の映画 「イノセンス」 の中でも特に印象に残っているセリフのひとつだけど、

樋口一葉を世に紹介した一人でもある明治文壇の鬼才斎藤緑雨の言葉からの

引用になるようだ

その斎藤緑雨のお墓 (墓碑銘は幸田露伴) は、

新撰江戸三十三観音第二十三番札所でもある金龍山大円寺にあり

何度かお参りしているが (山門や本堂扁額、聯は書の大家豊道春海先生の書) 、

生まれははここ三重県鈴鹿市神戸だったとは、、

境内にあるその碑を見るまでは知る由もなく

 何人か鏡を把りて、魔ならざる者ある。魔を照すにあらず、造る也。

 即ち鏡は、瞥見す可きものなり、熟視す可きものにあらず。
 斎藤緑雨
 1868.1.24/慶応3年12月30日-1904.4.13/明治37年
  新暦でいうところの100年前のこの日、ご生誕

 


天澤山龍光寺
臨済宗東福寺派
称光天皇勅願寺

 この日の建長寺派の和尚さんの法話では、

 仙厓和尚の辞世の言葉などを通して今この瞬間を生き切るというお話を拝聴

 とてもよかった

三重県鈴鹿市

 

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■人物相関■
徳富蘇峰(1863-1957)
徳川家達(1863-1940)、徳川宗家16代
村上鬼城(1865-1938)
河口慧海(1866-1945)
山本玄峰(1866-1961)
E.サティ(1866-1925)
夏目漱石(1867-1916)
幸田露伴(1867-1947)✨
正岡子規(1867-1902)
鈴木貫太郎(1868.1.18/慶応3年12月24日-1948.4.17)✨生誕100年
斎藤緑雨(1868.1.24/慶応3年12月30日-1904.4.13)✨生誕100年
岡田啓介(1868.2.14/慶応4年1月21日-1952.10.17)✨生誕100年
西田幾多郎(1870-1945)
鈴木大拙(1870-1966)
泉鏡花(1873-1939)