** I Can't Give Everything Away ** | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

 地上管制からトム少佐へ、

 カウントダウンを始め、

 エンジンを始動する、

 点火装置を確認せよ、

 神の愛がともにあらんことを
 バチカンのジャンフランコ・ラヴァシ枢機卿

 ”スペイス・オディティ”の歌詞を引用

 

世の中の切り取り方にはいろいろあって、書物、書画、建築、写真、音楽、映画、、、

それぞれが等しく世の中と向きあっているんだと思う、

 

表出の仕方が違うだけだ


探偵小説を読んでいてこんなフレーズに出会った

 

 「建築家は百年先のことを考えて建てている」

 

 だったかな?ほ~ ✨ と感動を覚えた記憶が


シーザーを理解するためにシーザーである必要はない、

 

とするなら、

 

建築を感じるために、何もその専門書に接する必要はないのかも



 

 

Bowieのドキュメンタリを観た時は、こう思った

それこそが生きているということだと

 

 

書物でも書画でも建築でも、写真や音楽、、そして映画でも、、、

 

その人の考え方や世の中との対峙の仕方に大きく影響を与えることってことはあるし、、、

その 「瞬間」 を再体験した来場者の上気した感じが伝わってきて、

 

 

とてもよかったんだなぁ


To be or not to be, that is the question.


ともいうじゃないか... 


生きてるって実感出来る瞬間はかけがえのない瞬間なのだと思う

いつかはこの世から消える身だからこそ”今在る”というその瞬間は

 

 

いつも素晴らしい... 


以下、二年前の日記より、その2/3


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追悼雑誌をいくつか、、

 こういう形になることは1年前からわかっていました。

 でも私には、その覚悟が出来ていませんでした。

 彼は愛と生気に満ち溢れた、たぐいまれな男でした。
 T.ヴィスコンティ


I Can't Give Everything Away
何ものをも与えることは出来ない

”アウェイ” のいい訳し方が思いつかないなぁ...
ボウイのラストアルバムのラストを飾る曲だ


 

円覚寺さんの御開山を 無学祖元 と云い、

”無学”とは今でいう”学が無い”を意味するのではなく、

もう学ぶべきものが無いほどに学んだ、という意味らしい、、

そう考えると、ボウイらしい終曲なのかも...

「何ものをも与えることは出来ない」 とは、 「もう十分に与えつくしたから行くよ、じゃあ」 

 

と読むことも出来るのかな?


僕も一度でいいから、ライヴを観たかったなぁ、、


 だから、初めからそこにあるものを見るというよりも、

 ”今”という瞬間をつかまえようとしているんだ、いつもね。
 D.ボウイ,1979、聞き手:坂本龍一

 


 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
 方丈記 / 鴨長明


 Everything will be all right, Tonight
 Everything will be all right, Tonight
 No one moves
 No one talks
 No one thinks
 No one walks, Tonight



 彼から不満を聞いたことが一度もない。

 彼は計り知れないほど勇気があり、気高く優美で、そして彼らしいユーモアを失わずに、

 病気に立ち向かっていた。ガンだと私に手紙を書いてきた時も

  『まぁいいニュースは頬骨を取り戻したことかな』

 と言っていたよ。
 長年の友人ゲイリィ・オールドマン
 David Bowie Tribute l The BRIT Awards 2016

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ボウイの作詞法は少し変わってるとこもあったりするけど、

日本人で実践してる人はいるのかな?

西洋詩というか英語詩に素養があればもっと深く、

その面白さを実感出来るハズなんだけど、、、

「アウトサイド」 をリリースしたころ (1995年?) の次のような記事は、

ボウイのインタビュの中でも特に印象に深く、今でもよく覚えている


 もうオリジナリティなんて出尽くしている、それよりもそれらをどう組み合わせるか、

 自分というフィルタを通してどう表出させるか、そのパーソナリティが重要なんだ

とか

 情報社会が生む持つ者持たざる者の格差を放っておいてよいのか、

 世の中の仕組みとして、情報を持つ者が勝つという単純な構図でよいのか

とか


もう20年も前になるけど、ずっと心に、、今でも、、、

組み合わせの面白さ (妙) なんてずっと追求し続けてるところだからね

 

僕ならどうするだろうかと

 

 

もう学ぶべきものが無いほどに学んだ、という意味は、

 

裏を返せば、

 

何も学ばなくてもよかった、そのままの、ありのままでよかったのだと気づく

 

そのことを云うのかも

 


 

 

 Everything will be all right, Tonight

 

 

 

ボウイゆかりの京都は洛北西賀茂の正傳寺Ⅱ

 「聴雪」 の言葉を思い起こされる粉雪が... 画になるなぁ... 

 



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