「私の作品を虚無と言う評家がありますが、西洋流のニヒリズムという言葉はあてはまりません。
心の根本がちがうと思っています。道元の四季の歌も『本来の面目』と題されておりますが、
四季の美を歌いながら、実は強く禅に通じたものでしょう。」
美しい日本の私―その序説 / 川端康成
ここでさらに面白いと思ったのは 「虚無」、すなわち 「無」 のとらえ方で、
川端康成のノーベル文学賞授賞年 (1968年) からさかのぼること14年になるが、
鈴木大拙博士がエラノス会議に正式な講演者として招待された時のやり取りを思い出したからだ
エラノスはスイスのマジョーレ湖畔近くで行われたとある
誰かが尋ねた、「我々が神というところを、あなたは無という。無が神なのか」と。
深い眉毛の奥で大拙の目がキラッと光り、彼は食卓のスプーンを取り上げて、
いきなり前に突き出すと、ただ一言、「これだ。わかるかね」と言ったそうな。
第一級の国際人 / 井筒俊彦
さてさて
羽衣をまとえばそれまでの記憶の一切がなくなるという、
逆に云えば、
そういう力でも用いなければ、断ち切れるものではないと云う裏返しでもあるのだろう
するとかぐや姫は、
「人情のないことを云ふものでない。」
と、さう仰有つて、静かに落付いて帝に向つて御手紙を書き出したのである。
その態度は全く落付きはらつて立派なものだった。
竹取物語 九 天の羽衣
「この物語は、一種のペシミスティツクな色を帯びてゐる。と同時に、
理想に對するほのかな憧れを持つている。」 そう解説にあるがむしろ、
親子の、たとえ血はつながってはいなくとも、その強い絆を思わせる
また、
ラストのかぐや姫の落ち着きは、
アン王女 (ローマの休日) のあの去り際のそれとも重なってくる
千年以上も前に書かれた物語だけど確かに 、
「われわれは、もつと深いところを見なければならぬのである。」 とある通り、
幾通りもの読み方が出来る物語で、かつ、その構成も綺麗だなぁ、、と
翁は氣分が惡く胸が苦しいやうな時にも、この子を見ると自然その苦しさが止んだ。
またなにか腹の立つやうなことがあっても、やはり慰められるのであった。
竹取物語 一 かぐや姫の生立
西田幾多郎先生が友人の書籍の序文に書かれた、
大拙博士は 「これだ。わかるかね」 と言ったあとこう続けたそうだ、
つづく
大機山雲頂菴
臨済宗円覚寺派円覚寺境内塔頭
一般拝観不可
井筒俊彦さんの眠る墓所は北鎌倉の雲頂菴さんにある、この五月にはお墓参りを
こんな時代の物語
空海(774/宝亀5年-835.4.22/承和2年3月21日)
菅原道真(845.8.1/承和12年6月25日-903.3.26/延喜3年2月25日)
清和天皇(850.5.10/嘉祥3年3月25日-881.1.7/元慶4年12月4日)
陽成天皇(869.1.2/貞観10年12月16日-949.10.23/天暦3年9月29日)
醍醐天皇(885.2.6/元慶9年1月18日-930年10月23日/延長8年9月29日)
平将門(生誕不詳-940.3.25/天慶3年2月14日)
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震災から六年 西田幾多郎先生の序文