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他者の間違いを見たとき、
なぜ、罰を与えたくなってしまうのだろう?
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こんにちは。
神戸メンタルサービスの平です。
今年のGWのロングワークのテーマを
『イノセントワールド〜罪なき世界への誘い〜』
私たちの人生がうまくいかない一番の理由は、ずばり“罪悪感”。
そこで、GW後半の5日間でこの罪悪感の撲滅にじっくりと取り組むことを今回の癒しの目標といたします。
さて、罪悪感を癒すために、私たちがいちばんにやるべきことは、ずばり、“無罪性”を選ぶという決断です。
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無罪性を選ぶトレーニングとしては、まず、あなたが自分以外の人になんらかの判断を下したり、罰を与えたくなったりしたとき‥‥、つまり、怒りたくなったときに、その人たちの中に無罪性を見るということからはじめるとよいでしょう。
このトレーニングは、じつはあなたが「自分自身をどのような存在だと思っているか」を知ることに役立ちます。
自分以外の人を責めたり、罰したりしたくなっているときのあなたは、自分という存在を愛の存在ではなく“罰を与える存在”、“人を攻撃する存在”だと思っていることになりますよね。
一方、もしもあなたが人の間違いを見たときに、罰することよりも、「この人はなぜ、こんなことをしてしまうのだろう?」とか「なにが足りなくて、そうするのであろうか?」などと考えることができるようになったら、どうでしょう?
その人が違う選択をするために、あなたがその人に対してするべきことは、罰したり、攻撃をしたりすることではなく、きっと“愛すること”に違いありません。
そして、それは「自分が愛の存在である」という自覚なしに実行することはできないのであります。
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あなたがだれかを攻撃しているとしたら、それは、「どうか、私を憎んでください」、「どうか、私を嫌ってください」と言っているのと同じようなことですよね。
同時に、「そうです。私はあなたに嫌われるにふさわしい存在です」と自分に言い聞かせているともいえるでしょう。
あなたがだれかを闇に縛り付けようと、攻撃したり、罰を与えたりするのは、あなたがその人を自由にし、解放し、あなたと一緒に光の中に入ることを選択しなかったからといえます。
他者への攻撃を手放すということは、あなたが引きこもらないということでもあります。
もっとわかりやすく言うならば、「傷つかないだけの強さをもつ」ということでもあります。
あなたが対人関係で傷ついているとしたら、それはあなたを傷つけた周囲の人たちに「あなたは私の傷であり、痛みであり、ろくな存在ではありません」と明言していることとまったく同じです。
反対に、傷つかないということで、あなたはまわりの人を無罪にすることができます。
自分のまわりにいる人や、自分の身に起こった出来事をどのようなものにするかは、あなたが決めることができるわけです。
人や出来事を、あなたの傷や痛みにすることもできます。
人生の学びにしたり、大きな愛になるチャンスとして捉えることもできるわけです。
私たちは、自分のことをものすごくちっぽけに扱い、「大きな愛に値するほど自分は立派な人ではない」と自分のことを過小評価しがちであり、そこからしばしば問題が生じます。
私の大好きな『コース・イン・ミラクル(奇跡のコース)』という本の中に、このようなフレーズがあります。
「自分がどのようなものであるか、自分自身で決める必要はまったくない」
神があなたの価値を知っているからであります。
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もしも、あなたが、まわりの人々の素晴らしさや美しさを認めることができるならば、あなたはあなた自身の素晴らしさや美しさも同様に受け取ることができるようです。
私たちは毎瞬、罪悪感か無罪性かを選ぶ決断をしているといわれます。
そこで、GWの5日間、みなさんには無罪性を選ぶトレーニングをしていただきたいわけです。
3日間の参加でもかまわないのですが、当然ながら、5日間参加して、トレーニングをしていただいたほうがよいだろうと思います。
それぐらい毎瞬毎瞬、私たちは怒りを選ぶことに慣れすぎていますので‥‥。
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