今年は、年明けの1月4日から東京に出張であった。
この日は、大阪で昼の1時から面談カウンセリングを2本こなしたあと、東京に入る予定だったのである。
いつものことながら、飛行機のチケットを取り忘れていたので、1月3日の日にJALに電話してみると(私はパソコンがほぼ使えないので、いつもネットではなく、電話で手配するのである)、1月4日の伊丹発・東京行は、ほぼ全便、満席であるというのである。
「ゲゲッ!」
帰省ラッシュというやつである。
そういえば、たしか、去年も1月3日に東京に行こうとしたら、同様のことになり、かろうじて1席だけ空いていた便に乗ることができたのであった。
ああ、われながら、なんと学習能力がないのであろう。
しかしながら、「こまめに電話すると、空いている便があるのではないか?」と思ってはみたものの、昼から大阪で面談を2本こなすと、終了時刻はだいたい夜6時半ごろとなる。
すると、それ以降の時間で伊丹発・羽田行というと、19:30発と、最終の20:15発の2便しかないのである。
たぶん、新幹線はもっと混み合っているであろうから、大荷物を持って、東京まで2時間半も立っていくのはごめんである。
よって、予約も取れていないまま、伊丹空港に向かった。
俗に“空席待ち”と呼ばれるチケットを手に入れ、ただひたすら、キャンセルが出るようにと呪いつつ、いや、祈りつつ、待つわけである。
しかしながら、私のキャンセル待ちの順番は、14番目だったのである。
これでも、私はJALにとってはいいカモ、いや、いいお客さまなので、優先的に空席待ちのチケットがもらえる立場だったのであるが、それでも14番目だったのである。
「う、これはヘタをすれば、乗れんかもしれんな‥‥」
と、覚悟を決めかけたものの、意外とあっさり、19:30発の便に乗れちゃったのである。
もちろん、キャンセル待ちだからして、エコノミーシートの間席であったのであるが……。
そして、なんとか夜10時前には、目黒のホテルに着いた。
本来ならば、定宿である蒲田のホテル末広で、正月早々、黒湯三昧といきたいところだったのであるが、末広は1月2日から7日までお正月休みだったのである。
なんと、強気な商売を!
仕方がないので、新規開拓のホテルにチャレンジしたのである。
目黒にあるほとんどのホテルに一度は泊まったことがあるのだが、今回は泊まったことのないホテル名を見つけた。
そして、部屋の平米数があまり大きくないことを確認し、泊まることにしたのである。
「部屋の平米数があまり大きくない?」
なぜかというと、以前、シングルであるにもかかわらず、25平米もある部屋があったのである。
部屋が広いにこしたことはないと思い、しかも、値段も高くなかったので、喜びいさんで予約したところ、それは、ラブホテルだったのである。
その後も、同じような経験を数度したため、最近は賢くなったのである。
しかしながら、名前も聞いたことのないホテルは、とても良いかとても悪いかにはっきりと分かれる。
8割方はひどい経験をするのであるが、興味があるので、ついつい新規開拓してしまうのである。
そして、目黒駅からほど近い、そのホテルの入口に立った瞬間、私は悟ったのである。
「やはり、やめておくべきであった……」
このホテルには、正月早々、3泊もしなければならないのである。
そして、ホテルの入口で私が感じたこの感覚は、ものの見事に当たっていたのである。
まず、お風呂のシャワーが出たり出なかったりした。
さらに、蛇口から水が漏れる。
それでも、このぐらいは耐えられたことなのであるが、部屋の壁がとても薄かったのである。
明け方4時過ぎに、隣室の中国人であろうお客さんの怒鳴り声で目が覚めた。
どうやら、電話でビジネスの交渉をしているようなのであるが、怒鳴りまくっているのである。
そして、それは5時過ぎまで続いた。
しかも、このホテル、意外と高かったのである。
最近のホテル事情を見てみると、とても有名なホテルが、ネットではシングル5,000円などという破格で出ていたりするのである。
そんなご時世に、このホテルは7,500円だというので、期待したのであるが、かなりつらい経験になったのである。
しかしながら、唯一の救いは、マッサージのおじさんが凄腕だったことなのである。
こういうおじさんと出会うと、ホテルはいまいちだったとしても、このマッサージを目当てに、ついつい、また泊まりたくなったりすることもある。
なにが幸いするかは、わからないのである。
ちなみに、このホテル、入口から部屋の中まで、ものすごく薄暗かったので、私は『暗黒ホテル』と勝手に名付けたのである。
私のホテル・リストでは、下位に属することになったのであるが、どうしても宿がとれないときなどは、意外とこの種のホテルに救われたりすることもあるのである。