平和学の父ヨハン・ガルトゥングの歩んだ道―消極的平和から積極的平和へ | 榊原平のブログ―安城·愛知から世界に学ぶ Taira Sakakibara’s Blog : A Global Learner from Anjo and Aichi

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榊原平と申します。愛知県安城市出身・在住。常に学び、観察し、考え、人や社会に共感し、このブログでは自分が学んだことや考えたことや感じたことを書いています。このブログで安城・愛知から世界へつながり(Solidarity)を作りたいと思っています。

はじめに―ヨハン・ガルトゥング

ノルウェーのオスロのヨハン・ガルトゥング Johan Galtungは、平和学の主要な創始者として世界的に知られるノルウェーの社会学者でした。


 

 
 
彼は1959年にオスロ和平研究所を設立し、1970年まで初代所長を務めました。
 
また、1964年には平和研究のための最初の学術雑誌であるJournal of Peace Researchを創刊しました。
 
彼は1969年にオスロ大学で世界初の平和学と紛争研究の教授に就任し、その後も多くの大学で教鞭をとりました。
 
彼は2024年2月17日93歳で亡くなりました。
 

本論

 

ガルトゥングは、第二次世界大戦をナチスに占領されたノルウェーで体験し、12歳のときに父親が逮捕されるのを目撃しました。

 
1951年にはすでに平和の仲介者として活動し、義務的な軍役の代わりに18か月の社会奉仕を選びました。
 
その後、社会奉仕の期間を延長することを拒否したために、6か月間の労働刑務所に収監されました。
 
彼はオスロ大学で数学と社会学の博士号を取得し、ニューヨークのコロンビア大学で教えた後、オスロに戻ってオスロ和平研究所を立ち上げました。
 
ガルトゥングは、平和学の基本的な概念と理論を提唱しました。
 
彼は、戦争のない状態を「消極的平和」と呼び、貧困、抑圧、差別などの構造的暴力のない状態を「積極的平和」と呼びました。
 
彼は、紛争の原因と解決策を分析するための「紛争三角形」や、「超越法」という平和的手段による紛争転換の方法論を提案しました。
 
彼は、スリランカ、アフガニスタン、北コーカサス、エクアドルなど、世界で40か所以上の紛争の仲介者として活動しました。
 
彼は、日本においても中央大学、国際基督教大学、関西学院大学、立命館大学、創価大学などで客員教授を務め、日本の平和と安全保障に関する問題にも関心を持ちました。

 

 

 

おわりに

ガルトゥングは、平和学の父として、世界中の人々に平和と紛争の本質と可能性を教えました。
 
彼は、自らの経験と知識をもとに、多くの著書や論文を発表し、平和学の発展に貢献しました。
 
彼は、1987年にライト・ライブリフッド賞を受賞し、1993年には国際NGOのトランセンド・インターナショナルを設立しました。
 
彼は、2024年2月17日にバールムの保健機関で亡くなりましたが、彼の思想と業績は、平和を求める人々にとって永遠の財産となるでしょう。
 

参考文献:-