7月31日は杉原千畝の命日です。命日に思うこと | 榊原平のブログ―安城·愛知から世界に学ぶ Taira Sakakibara’s Blog : A Global Learner from Anjo and Aichi

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榊原平と申します。愛知県安城市出身・在住。常に学び、観察し、考え、人や社会に共感し、このブログでは自分が学んだことや考えたことや感じたことを書いています。このブログで安城・愛知から世界へつながり(Solidarity)を作りたいと思っています。

杉原千畝の命日に思うこと

7月31日は杉原千畝の命日です。

2023年7月31日は37回目の命日になります。

彼の墓所は神奈川県鎌倉市の鎌倉霊園にあります。

 

杉原千畝とは

杉原千畝とは、第二次世界大戦中にナチスの迫害から逃れるためにリトアニアで約6000人のユダヤ人に日本通過のビザを発給した日本の外交官です。

彼は「東洋のシンドラー」とも呼ばれ、イスラエルでは「諸国民の中の正義の人」として名誉を称えられています。

 

しかし、彼の人道的な行為は日本では長く知られることがありませんでした。彼は外務省から辞職勧告を受け、不遇な生活を送りました。1986年7月31日に86歳で亡くなりましたが、その後になってようやく彼の功績が公式に認められました。

 

そんな杉原千畝の肉声映像があります。

 

 

 

 

 

 

これは1983年9月29日に放送された「運命をわけた1枚のビザ」という番組で、彼が自らの経験を語っているものです。

この映像は非常に貴重で、彼の人柄や思いが伝わってきます。彼はビザを発給した理由について、「人間として当然のことをしただけだ」と modestly 言っています。また、彼は自分が救ったユダヤ人たちと再会したいという願いを口にしています。

この映像を見ると、杉原千畝は正義感が強く、曲がったことが嫌いな人物だったことがわかります。

彼は自分の信念に従って行動し、多くの命を救いました。

しかし、彼はそのことで自慢することもなく、謙虚に生きました。

 

彼の命日にあたり、私たちは彼の偉業と精神を改めて思い出し、敬意を表したいと思います。

 

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