神武天皇が九州から大和に入る時、先導隊として派遣されたのが、八咫烏だと言われています。

既に大和は長髄彦が治めていましたが、神武天皇は長髄彦の娘を娶り、初代天皇となりました。

しかし長髄彦は、大和を追われ、青森へと辿り着き、そこで、海外とも交易を行い、10万人を越す大きな都市を築いたという伝説があります。

津軽半島の北西部、十三湊とさみなとという幻の国際都市。キリスト教や、海外の様々な宗教、建物が建ち並び、平安時代には、運慶が作った巨大な金箔が張られた煌びやかな大仏が、広大なお寺に納められ、東北の金鉱の財力を基に、繁栄を極めました。

しかし、1341年、巨大な津波により、一夜にして都市は全て飲み込まれ、跡形も無くなったと、数百冊の古文書に記録されています。

平安時代には、東北蝦夷地、宮城、岩手で阿弖流爲、そして田沢湖の女神が、朝廷により征服されました。

縄文時代から続いてきた、霊的な知力と機知に飛んだ穏やかな文明が、大和朝廷の権力文化の支配下におかれることになります。

一方、「サンカ」とよばれる自然の中で暮らす、戸籍のない定住しない人達が、近年までいたことが分かっています。

現代風に言えば、ロシアのアナスタシアのような価値観があったのかもしれません。

織田信長、豊臣秀吉、田中角栄も、サンカの出身だと言われているので、能力に秀でたDNAを持っているのでしょう。

京都の貴船には、天皇が亡くなった時、棺を担ぐ人達がいるといわれます。

この頃、SNSで見かける言葉の私の備忘録。

日本の隠された歴史の層の厚さに、深い感慨を覚えるこの頃です。