私の息子たちは、セブで生まれ育った。

 

周りは夫の親戚一族が住む集落で、私も子供が生まれても仕事をしなくては生きていけなかったので、ママに預けていたため、子供は当然、現地の言葉(ビサヤ語)だった。

 

私も、夫と出会う前には、日常生活に困らない程度のビサヤ語を理解し、話せていた。

 

しかし、私は日本語を貫いた。

 

 

なんていうのかな。

 

いくら現地人とのコミュニケーションができたからとはいえ、やはり日本人だし、違和感というものはあるものだと思っていた。

 

 

日本語の上手なフィリピン人というのも、周りにいないではなかったけど、やっぱりどこか「外国人が話している」感ってあるじゃん。

 

容姿のせいもあり、フィリピン人に間違われることも多々あった。

 

実際、出産するときだって、思わず、

 

「痛~い!」

 

と、叫んでしまうまで、私が日本人だということを、主治医以外にはバレていなかったしね。

 

 

 

 

子供に、へんなビサヤ語を話すお母さん、という風には思ってほしくなかった、という私のつまらない意地だったよね。

 

 

 

そんなわけで、子供との会話は、私が日本語、子供はビサヤ語、という不思議なものだった。

 

もちろん最初からちゃんと話が通じていたわけではない。

 

 

なので、私の言うことが理解できない場合は、その都度、ビサヤ語にしていた。

 

 

それで、一番先に私の言うことを理解するようになったのは、実はママだったりしたのだが。

 

 

 

 

母親が日本人の場合、父親が日本人に比べ、子供は日本語の理解度が高い、などと言われていたが、私は世の父親並みに一家を支えていたために、当然、子供と接する時間は少なかった。

 

小学校に入るくらいには、文字の練習もさせていたが、なかなか思うようにはいかなかった。

 

 

劇的に変わったのは、長男は小学3年生、次男は2年生の一年を、日本の小学校に通わせたこと。

 

 

その頃には、私の言っていることはほとんど理解はしていたが、返ってくるのはビサヤ語・・・

 

 

実家の両親には、とんでもなく負担をかけてしまうが、当時の私の周りには、日比混血児男子の悪い手本がウジャウジャいて、危機感に苛まれ、単身の留学(?)を決断したのだった。

 

 

最初こそ、外国人がサポートに入る特別クラスに入っていたようだが、日本語を理解できることはかなりのアドバンスだったようで、すぐに通常クラスに加わり、一年を終える頃には、他のクラスメイトと遜色ない、と言えるほど、日本語がペラペラになっていた。

 

たった一年で。

 

逆に、戻ってきてから、ビサヤ語や英語に戻すのがたいへん、などとの賜っていたくらいに。

 

 

その時、思ったよね。

 

 

私が日本語を貫いていてよかった、と。

 

 

 

次男が留学(?)を終えた時点で、我が家の会話は、日本語となった時には、感動したよね・・・

 

 

 

 

読み書きについては、セブに戻ってからというもの、どんどん忘れてしまったようだが、中学生の頃に受けた日本語能力試験では、聴解を中心に高得点をあげ、長男はN3、次男はN2に合格した。

 

ちなみに、N2の試験を受けた時、長男の方が合計得点は高かったのだが、読解が0点だったために、合格はできなかった、というね・・・

 

 

 

 

現在のたいまい家は・・・

 

 

二人の息子と私が話すのは、日本語。

 

夫と息子たちは、ビサヤ語。

 

兄弟同士はビサヤ語。

 

 

在住歴が長くなった夫と私は、日本語とビサヤ語の半々くらい。

 

 

 

しかし、やはり読み書きについては、まだまだで。

 

メッセージのやり取りは、私が日本語で、息子たちはローマ字の日本語・・・

 

「Okasan・・・」

 

という呼びかけから、メッセージが始まる。

 

 

 

以前、次男が送ってきた「shine」という言葉・・・

 

「死ね」?

 

おいおい、穏やかじゃないね~、と思っていたら、

 

「社員」だった、なんてこともあり、ローマ字読みは、なかなかにこちらの読解力も必要だったりするんだけどね。

 

 

 

現在は日本で暮らす息子たち。

 

会話については、心配はしていなかったけど、やはり日本に暮らすとなると、書類を書く機会もたくさんある。

 

 

その度に写真を送ってきて、私が「ペイント」アプリで、記入し送り返している。

 

 

ただただボーっと、日がな一日、漫画やアニメを観ているわけではないのだよ・・・

 

 

 

会話は普通に通じちゃうし、見た目だっていかにもな外国人には見えないだけに、日本語が書けないとか読めないとか相手も思わないようで、日本で生まれ育った日本人として接してくるのは、本人たちにとっては、かなりのプレッシャーになるようだ。

 

 

ま、それはしょうがないよ。

 

 

これからは、読み書きもできるようになるかも、なんて期待をしていたりして。

 

 

 

 

息子たちは、日本語、英語、ビサヤ語、タガログ語ができる!と、自信満々であるが・・・

 

 

実はどれも中途半端である。

 

と、母は思っている・・・

 

 

 

 

英語については、話しているのを見たことすらない。

 

 

なので、私としては、旅行でも英語圏への渡航を進めているのだが、そういう冒険心はあまりないようだ。

 

 

私の息子なのに。

 

 

 

いつか・・・

 

息子を通訳にして、英語圏へ旅してみたいなぁ・・・

 

 

などと、淡い夢を見ていたり・・・

 

 

いや、マジで通じなくて、結局、私が片言で対応したりするかもしれないんだけど。

 

 

 

 

外国で生まれ育ったからといって、自然に何か国も理解するようにはならないからね。

 

 

それだけは、声を大にして言いたいっ!!

 

 

ご清聴ありがとうございました。