1995年1月16日
 
年末に納車されたアコードワゴンで神戸へ家族でドライブ。
 
異様に暑かったのを覚えてる。
 
1月中旬でこの暑さは何なんだと思ったしだい。
 
神戸からの帰り、FM放送を聴いていたらノイズが凄かった。
 
アンテナを伸ばしてもノイズは消えなかったんだよな。
 
国道43号線を使い下道で我が家への帰宅途中、多分神戸市東灘区の「浜中」の交差点。
 
信号待ちであまりに暑くて着ていたフリースを脱いで、車のエアコンも冷房に。
 
何度も言うが、1月中旬の暑さではなかった。
 
相変わらずFMラジオのノイズは消えなかったんだよね。
 
一応ボーズシステムのカーオーディオで音は良かったんだよね。
 
大阪に入ったときぐらいにノイズは消えて綺麗な音で聞こえ出したんですよね。
 
家に着いたのが22時を過ぎていたかな?
 
3連休の最終日、朝はいつも5時30分に起きて、7時発の和歌山行きの4両編成の快速電車で出勤しなくちゃいけない。
 
翌朝、朝起きてしばらくしたら、凄い音が西のほうから襲ってきた。
 
どこかの国のジェット戦闘機が飛んでいるのかと思った音だ。
 
数年前、北海道の丘珠の空港でジェット機が離陸する音と同じような音だった。
 
テレビは大阪のキー局の放送だった。
 
『大きな揺れです!!!』とアナウンサーが叫んだ瞬間音声は聞こえているがテレビ画面は消えた。
 
機材が音を立ててゆれているのが聞こえていた。
 
すぐに凄い揺れ。
 
本棚の上に置いてあるポータブルステレオのスピーカーが信じられない角度で踊っていた。
 
子供二人は布団の中、そこまでたどり着けないぐらいの揺れだった。
 
とりあえず、朝食をとり、駅に向かうが電車は動いてない。
 
携帯電話を持っていたがつながらない。
 
公衆電話ならつながりやすいというが長蛇の列。
 
いったん家に戻り、家の電話から会社に電話をかけるが繋がらない。
 
何十回電話を掛けたかわからない。
 
ようやく電話がつながったのが昼過ぎ。
 
繋がったと思ったら罵られた。
 
『今頃電話してきて何を考えてる!』という内容だった。
 
思わず電話を切ってやった。
 
和歌山ではそれほどの被害もなく揺れも小さかったようである。
 
大阪は震度5強か弱だったな。
 
まぁいろいろ有って倒産した会社だけどあのときのことは思い出しても腹が立つ。
 
後日、神戸に住んでいた大学時代の友達とも連絡が取れ安堵したのを覚えてる。
 
それにしても、未曾有の大震災だった。
 
近年では東北大震災。
 
近く起こるであろう、南海、東南海地震。
 
準備(心積もり)はしておかないとなと思う次第です。