私の大切な母が先日の6月8日に亡くなりました。

 

6月7日深夜の11時、私の携帯電話に母の入院している病院側から「母が息をしていない」との緊急の連絡が入り、私の姉と車で急いで病院へ。

 

8日を回った午前12時20分

 

お医者様から「永眠なさった確認」をいただきました。

 

昨年の4月に大事な父が亡くなってから、早くも一年。

 

続けて母も天国に逝ってしまいました。

 

この最近の一ヶ月間

母は急激に体力が無くなって、私たち兄弟は亡くなる覚悟はしておりましたが、いざ現実になると、・・・・とても寂しいものですね。

 

その後の6月13日(木)お通夜。

 

 

14日告別式を文京区本郷「東京大学農学部」裏の菩提寺である「願行事」でとりおこないました。

 

お葬式は昨年同様、皆さんに御迷惑を掛けるといけないので、親戚一同どなたにもお声を掛けず、姉二人の家族と私の家族だけで静かに「家族葬」として、とり行いました。


淡々と「告別式」をとりおこない、最後の出棺の時、喪主である私の挨拶の時間になりました。

 

その時の原稿があるので読ませていただきます。

 

喪主の挨拶

本日はお忙しいところを私の母「渡辺キ○子」の葬儀にご会葬下さいまして誠にありがとうございます。

 

このように大事な方々ばかりにお見送りを頂き、さぞかし故人も喜んでおることと存じます。

 

母は
昨年亡くなった激しい性格の父とは対象的に、性格の穏やかな優しい人でした。

 

ほんとにほんとに優しい、優しい性格でした。

 

母からは、私は生まれてこの方一度も激しく(はげしく)怒られたことがない、

 

まるで「観音様」のように、いつも暖かく見守ってくれる、とっても心の優しい性格の本当にいい人でした。

 

職人気質で、頑固者、気性の荒い、わがままな父の言うことに逆らわない、とても良い母でした。

 

そしてとっても働き者でした。

 

毎日仕事が間に合わず、深夜の一時、二時まで眠い目をこすりながらも、職人達と一緒に仕立業の手伝いをする、すごく働き者の母でした。

 

今の「テーラー渡辺」が現在でも商売をやっていけるのもお母さん

 

貴方が、必死に手伝って働き続けてくれたおかげです。

 

ありがとう。

 

思い出と言えば、初孫である「○○子」が生まれたときにはずいぶんと喜んでいた事を今でも記憶に残っております。

 

毎週、○上のお兄さん、お姉さんが遊びに来ると、率先して楽しそうに抱いて、あやしていた事を思い出します。

 

その後

 

○気 ○博 ○喜 ○絵 ○ ○ と生まれ、

その孫六人全員、分けへだて無く、愛情を注ぎましたね。

 

そのお母さんの孫たちは立派に成長し、独身者がだれ一人もいない。

 

全員欠けることなく夫婦という家庭が持てたことは母、本人も安心していると思います。

 

それは、お母さんがきびしくて、頑固でわがままなお父さんと最後まで別れることなく「家族っていいもんだよね」と頑張って、模範を示したからなんだよ。


晩年は認知症との戦いになりました。

 

20年以上も前に大きな脳梗塞(のうこうそく)を二度も併発(へいはつ)し、緊急入院。

 

月日を追うごとにどんどんと、体も動けなくなり、記憶も薄れ、さぞや本人もつらかったと思います。

 

しかし、その後は家族たちからのたくさんの愛情を受け、

 

あんなに母にきびしくあたっていた父も、

晩年はその罪滅(つみほろぼし)ぼしなのか、年をとって体力が無いにも拘わらず「老骨に鞭を打ち」ながら、父みずから率先して、介護を一生懸命行なったので、今まで長生きできたんだと。

 

それは本当に良かったと思います。

 

母が八十過ぎになってからは、だんだんと認知症が重くなり
体力も衰え始めたにも拘わらず、よく私に口癖のようにいっておりました。

 

最後の孫の「○の結婚式を見るまでは死ねないよ」。と。

 

その念願はかなって、「○の結婚式」に出席できて、○○の結婚まで見届けられたし、

 

最後の孫の○のひ孫まで見られる事ができて、これでさぞや満足でしょう。

 

もう・・・もう思い残すことないよね、お母さん・・・・。

 

 

先月、父の一周忌だったので、たぶん父が天国から降りてきて、母を迎えに来たのでしょう。

「もうおまえの役割は終わったのだから、私と一緒に、こっちにおいで」。と天国の入り口でいつものように大きな声で呼んでいるんでしょう。

 

お母さん

私たちは

長女でしっかり者、家族兄弟みんなをまとめ上げる妹、弟思いの○子おねいさんと、

 

姉と弟の潤滑油となっている、ムードメーカーの○○子おねいさん。

 

そして年をとっても、いつまでたっても、甘ったれ坊主の末っ子の私。

 

優しくて、私たち夫婦をいつも心配してくれている義理の「行○」お兄さんと、これからも兄弟仲良くやっていくからね。

 

そして、女房の○○と、一緒に家業の「テーラー渡辺」の仕事を頑張ってやっていくから、心配しないで、大丈夫だよ。


天国での家族みんなが揃ったら、お母さんの趣味で大好きだった「民謡の歌」を披露したらどうですか。

 

18番の「さんさしぐれ」「お立ち酒」」でも久しぶりに歌いなよ。

天国で楽しく暮らしてね。

 

お母さん、

渡辺家、坂○家、○島家、ほか家族みんな、すご~く感謝しているからね~

 

ありがとう

 

これからはお父さんと一緒に天国で見守っていてね。

 

お母さん

 

本当にありがとう。

 

さようなら・・・。

 

以上です。

 

涙を・・・涙を拭いながら「出棺」の前に、この文章を読み上げました。

 

昨年の前半までは父も健在で、前の家で家族一緒に食事をしたりおやつを食べたりで何気ない、いつもの生活をしていたのに・・・・。

 

「何気ない普通の生活」がこの一年で一変しました・・・・。

 

しかし、これからは戸惑うことなく家内と二人で家業の「テーラー渡辺」の商売をやり続けようと思います。

 

それが、亡くなった両親にとって、せめてもの小さな親孝行なのかな・・・。

 

 

お母さん・・・俺・・・・これからも「テーラー業」をやっていくよ。

 

 

昨年から始めた新しいお店でなんとか頑張るよ・・・。

 

お父さんとお母さんがやってきてくれた「テーラーの仕立業」をやめずに「死ぬまで現役」でやっていくよ。

 

これからも、何かアクシデントがあっても、沢山辛いことがあっても、負けずに、くじけずに頑張るよ。

 

だからお母さん・・・昨年亡くなったお父さんと一緒に天国で俺のことを見守っていてくれよな。

 

 

頼むね・・・

 

宜しく頼むね。

 

皆様

 

 

これからも「テーラー渡辺」のご愛顧を賜りますよう,お願い申し上げます。

 

御来店、お待ちしてます。