彼は空に還る。
困った時に読むこと。今がその真っ最中だ。素早く本を開く。すると独りでにページが進み、曲線を描いた。これだけの仕掛けを施しておきながら、謎解きの末に何の見返りもない。そんな素晴らしき最悪の結末を思い描きながら、師匠は内容に目を向ける。左のページには走り書きのような筆跡でこう書かれていた。
『ハーピーの 9 谷の底』
0 が降りて探している。見付けりゃ 10 まで眠って、奴らの 5 が聞こえないうちに登るんだ。
地表が見える頃には、君も奴らの仲間入り。
右のページには挿絵と、その下に四つの単語。DAWN、JEWEL、FLAP、HUMAN。直訳すると夜明け、宝石、羽音、人間。文章中にある数字も同じく四つ。この単語が数字の場所に当て嵌まると見てまず間違いないだろう。文章として無理なく読めるようにするなら。「ハーピーの宝石、谷の底。人間が降りて探している。見付けりゃ夜明けまで眠って、奴らの羽音が聞こえないうちに登るんだ。ハーピーというのはこれか」
挿絵には大きな鳥が描かれている。そしてその鳥に腕を伸ばす男。共通点と呼べるものは腕を伸ばすという動作のみで、後は全く関連が無いように思える。DAWN、夜明け、10。この数字に意味はあるのか。沖津は己の閃きに感謝した。「ハートの色が変わったのを見ただろう」 師匠の言葉を聞くよりも早く、沖津はメモ用紙に新たな情報を書き足す。「太陽か」
ハートが赤く輝いたのは、夜が明ける現象を表していた。ただ一つの確実と思える考えから、謎解きは速度を上げる。
タコヨリにも閃きが訪れた。「記録にあるハートの動き方を見てくれ」 色の変わった場所は左の窪み。騎士に最も近い場所。「太陽の昇る方角と合致しているんだ」 四つの断片それぞれに対応する単語が文章中に散りばめられている。先程の変化から一つは特定できた。残りは三つ。「気付いてしまえば簡単じゃ」 師匠は記号の名前を英字で書いた。HEART、CLOVER、DIAMOND、SPADE。「勿体付ける暇なんて無いぞ」 師匠はタコヨリの迫力に後押しされ、もう一度、今度は単語をすべて小文字で書いた。heart、clover、diamond、spade。「10は英字でXじゃ」 「こんな子供騙しに悩まされるとはな」
「単語に数字が隠されておる」 「Sが5を変化させた文字に見えた途端、消去法により残りは9と0の二つ。クローバーに9と思われる英字は見当たらん」 「待て、5は英字でVだ」 「固定観念に捉われてはいかん」 これが答えと師匠が言い切ることのできる要素が他にもあった。「クローバーの記号、なんとなく人間に見えんか?」
人間が谷底に降り、ハーピーの宝石を探す。見付けりゃ夜が明けるまで眠って、羽音がする前に上に登る。この文章は恐らく断片の動き方を暗示している。人間がクローバー、宝石がダイヤ。「羽音はスペード。鳥の羽根に似ているように見える。しかしそれと同時に、別の何かを表す記号ではないかと考えたんじゃ」 「ハートは太陽、ならば、恐らくこれは月」
色がね、変わるんですよ。店主の言葉が過る。「スペードにもハートと同じ現象が起きる」 「ご名答。こんぺいとう。流石じゃな」 空理空論の類ではなく確証がある。記号の意味するものが一つではないという考え自体は間違っていなかったんだ。「とするとハートにも何か別の」 「それこそ聖杯かもしれんな」 残された時間は計算するまでもない。次が最後。言葉にするまでもなかった。
失敗は許されない。しかし間違うことが出来ないのであれば、天井が地に辿り着くまでの時間を存分に謎解きに使うことが出来る。「そういえば店主はどこに行った」 思い返せば気付いた時には既に三人だけが閉じ込められていた。「あっちで寝た振りをしておるよ」 赤壁のお陰でよくは見えないが、帳場と思われる机の傍に背もたれ付きの長椅子が置かれている。「足が生えているな」 タコヨリは苦笑した。二人の声を聞くと、空を仰いでいた一足の革靴が動く。拾える可能性はとことんまで拾う。この店主、まだ何か隠していそうな気がしてならない。「俺にまだ言っていないことがあるだろう」 沖津は威圧するように言った。当たり前のことだ。お遊びで騒いでいるわけではない。
返事はなかった。タコヨリはヒントの書かれたページを見た時から、使われている紙の材質が気になっていた。触れてみるとよく分かる。羊皮紙だとは思うが、このざらつきは。土が纏まり形を成す様に、希望の名を持つ陶器が出来上がった。
「炙り出しかのう」 当たらずと雖も遠からずだ。「トゥージー、悪いがこの部屋の灯りを消してくれ」
店内が暗闇に包まれる。騎士の姿が闇に呑み込まれると、祈りを捧げる女性の白い影が現れた。師匠と沖津はほんの少し悔しさを感じた。先を越された。そしてこれは間違いなく大正解だ。耳を澄ますと騎士の発していた金属音とは比べ物にならないほど小さく、女性の啜り泣く声が聞こえる。組まれた両手からは鎖の様なものが短く垂れ下がり、その先に球状の影。硬貨のペンダントだろうか。暗がりで白く燃える本。挿絵の下、四つの単語すべてに重なる様に、一つの数字が浮かび上がった。
6。「この数字が何であるか、直感で言おうじゃないか」 三人の答えは同じだった。断片の移動する回数。謎が謎としての位を失い、彼らと等しい場所へ降り立つ。「コーヒーでも淹れるかのう」 師匠の冗談粧した言葉にも、今は素直に笑うことが出来る。
「青空のナミダ」