素直な生き方ができていないとき、

【心臓】に問題が起きやすくなる。


考えすぎて、感じることを無視していると、

【頭痛】になりやすくなる。

人に頼ったり、甘えることができないと、
【肩や首の後ろ】に問題が起きやすくなる。

言いたいことを言えずにいると、
【のど】に問題が起きやすくなる。

現状を消化できずにいると、
【胃】に問題が起きやすくなる。

不満や怒りを抑圧していると、
 【肝臓】に問題が起きやすくなり、
 
恐れを溜め込んでいると、
【腎臓】に問題が起きやすくなる。

人や社会を拒絶していると
【皮膚】に問題が起きやすくなり、

「いい人」を演じて、本音を無視していると、
【心の病】になりやすくなる。


「これをやらなきゃいけないけど、
   本当はこれをしたくない…」

「 want  to 」と
「 have  to」の狭間で

 カラダはいつも隠してきた本音を語っている。 


    (  しみずたいき  )







一日に一度だけ、

太陽と海は とろけ、ひとつになります。

太陽が沈み、夜になると海だけになります。

太陽と地球は 一日に一度まぐあっています


通常、太陽は男性性、

地球は女性性で表現されますよね。


でも、日本の天照大御神は、

太陽神なのに女性で描かれている理由の一つは、

太陽光が地球に届くと、女性性に変化するからで、

それはテラ(地球)が 女性だからです。


古代人の世界観では、

呼吸という運動も 風とカラダのまぐあいでした。

呼吸として風が体内にはいり、
 
吐き出された息が風となって巡る。


こちら側とあちら側の「あいだ」に生じる

このような感性を風のアニミズムといいます。

 




言語(アルファベット)を獲得する前、人類は

風のアニミズムを持っていました。


しかし、自然の中の音や声から完全に独立した

言語テクスト(情報)が立ち上がって、

自然(空気や風)からできていたはずのアニマが

自然の中に存在しなくなったのです。


書かれた言語によって風から切り離され、

アニマ(魂の力)が失われた。


つまり、エゴが強力になるに従って

かつて自然の中にあったアニマは、

人間の頭蓋骨の中に徐々に監禁され、

自然との対話力が失われていったのです。


エゴは自分に何かを加えることで、

つねに自分を拡大しようとしています。

もっと情報を入れれば、もっと健康になれば、

もっと愛されれば、もっとお金が手に入れば、

そうすれば安らぎが得られて、 

不安がなくなるとエゴは思っています。

問題は(学校や社会で習った)何かを加えるというのは、

やすらぎの反対方向ということです。


これは極めて重要で、

安らぎを見出すというのは、

足し算ではなく、引き算になるはずです。

この引き算にあたるものが、

瞑想やヒーリングになります。








ユングは幼少の頃、
石も「私」であると思えたし、
石もまた私の上に坐っている」という感覚が
離れなかったと回想していますが、


これが 主体と客体が分離していない
言語化以前のハート(いまここ)の純粋経験です。



ハートから離れて

マインド主体の我々が普段生きている社会は

のような世界の中で生きています。



1★水平次元「3次元空間の中に自分がいる世界」


ある場所、ある時間の空間。他人に見られる世界
(流れる文字は湧いてくる想念)

↑目醒めやワンネスという言葉も、概念に過ぎない。


2垂直次元:「ハート(いまここ)の世界」

非局所。「私の中に世界が在る」


私たちの人生の方向は、   
基本的に水平次元です。

でも、スピードを落とし、より注意深く、
よりくつろぐことで、瞬間の持つ深さ
 
――垂直の次元(2)――を発見します。

 水平次元は時間と空間のある物質的な次元で、
そこには感情や解釈の経験の世界も含みます。

その時間は過去と未来があり、時間は水平的に一直線に進むものなので、水平的なのです。

 それに対して、瞑想の次元は垂直です。


 1(解釈の世界)と2の世界(そのままの世界)

二つが重なっていると感じてみてください。


起きているけど(2)、起きていない(1)


たとえば、肝臓あたりに痛みが起きたとします。

痛みはその瞬間に起きたことに対するものです(2)

その痛みを、エゴは
過去や未来の幻想の世界へ投影します。()

「病院に行かなければ」という思いが湧いてきて、さらに「病院行ってガンと診断されたら、どうしよう」という不安、恐怖が湧いてきます。

エゴの反応によって、
痛みは苦しみに変換されて、恐れを増幅させます


しかし、実際には

痛みは起きているけど(2)、
 (エゴの言う不安や恐怖は)起きていない(1)


1と2のどちらが
リアルかというと2です。 


1の脳の幻想が溶けて、
2を思い出すのが「意識の目覚め」「悟り」

と言われるものです。


もう一度1と2の写真を 

よーく見てみてください。
 

この「見るということ」の

何が 不思議なのかというと、
 

よーく 見てみると
 
「私」がいるはずだって思っている所に 
 
「私」はいないのです。
 
 
自分の頭があるはずだ
って思っている所に 
自分の頭はないってこと。


そして、


頭蓋骨の中から
世界を見ている(1)のではなく、

肉体を越えた次元から
世界を認識している(2)のが 


瞑想を続けていると わかってきます。


ユングの言う
石も「私」であると思えたし、
石もまた私の上に坐っている」

というのは、

写真2で言うところの
 
目の前に広がる田園は「私」であり、
海も「私」であり、
空も「私」であるとリアルに感じます。
 


世界とあなたの「あいだ」で

ディープタントラが起こると、

「わたし」は消えて「それ」になります。






※4/22にはリベラシオン・ヒーリング3.0 講座です。
(凄腕ヒーラーのAさん主催で、少人数でリベラシオン  ヒーリングを直接学ぶことができます。※しみずたいきは参加しませんのでご注意ください)


4/22 リベラシオンヒーリング講座(芦屋)

13:30〜18:30 ( 一粒万倍日 )残席2名