才能がないけど夢を追いかける男と、
その男の才能を信じて支える女の物語

映画「劇場」について 今日は書いてみます。

(Amazon primeで観れるので、
興味のある人は 秋の夜長にどうぞ)




沙希(松岡茉優)の家に転がり込んだ
山崎賢人演じる永田(主人公)を

沙希は優しく支えるものの、
それが逆に 永田を苦しめていく。

永田は 甲斐性なしの受け身系男子で、
「自分が女性を傷つけている」という自覚がない。

そんなクズ男が ある女に依存する。

依存された人が「依存されることに依存」してしまったら 共依存になり、2人はボロボロになってしまう。

 「俺は 依存してくる女が嫌いだ」とか言う
  うる星やつらの諸星あたるみたいな男子には
  注意が必要かもしれない。

人間関係の依存には 
 回避性依存というものがあって、

この主人公のように 
誰かからの熱烈な恋から逃げたくて
冷たくしながら、(本人も無意識のうちに)

ほどよく冷たくすることで
相手を引きつけている人間が時々いる


依存する人も 回避する人も、実
相手には愛はなく、自分に恋してるだけ

そういうことをする人は、
2人が幸せになれそうな愛情に対しては、
ちゃんと向き合おうとしない。  逃げようとする。

ベタな言い方をすると、
「幸せになるのが怖い」のだ。

愛してくれる相手のことは
好きになることができず、
絶対に愛してくれない相手に恋をしてしまう

恋って 相手が「いい人」だから
魅力的に感じるわけではないのだ。

今の自分に満足していない人間は、
自分を“どこか別の場所”に
連れ去ってくれそうな(危険な)人に恋をします






 恋愛に依存したり 逃げたりする人は
 親との関係などで なんらかの形で

私は、私が愛されたいように愛されなかった
 という記録(記憶)が残っていて、

 そのさみしさを埋めるために
 “同じような寂しさ”を抱えた相手と恋に落ちる

しかも その相手を愛する(受容する)ことができない。


永田(山崎賢人)は  
愛されているから 安心して 
ほかの子や仕事に気が向いてしまう

沙希(松岡茉優)は 
愛されていないような気がして、
寂しいから (店長と)浮気をしてしまう


沙希が店長の部屋に行ってしまって、
(永田がそれを見つけた後)2人で家に帰るシーン。

今までかけたことない言葉を永田が
黙り込む沙希にかける。

夜明け前の暗闇の中、
自転車から見た桜は綺麗で儚くて、
2人の関係の終わりが近いことを予感させる。





依存されることに依存していた沙希が
ついに 永田から離れることを決め、

永田も沙希を自由にしてあげることを決め、

最後に沙希が荷物を引き取りに
久しぶりに再会するシーン。

沙希が主演した演劇の台本を2人で掛け合いをして

永田が台本と違う台詞を投げかけてくる。

演劇ならなんでも実現できるよと、

叶えてあげられなかった夢…、

もっと大事にしてあげればよかった…

という後悔を吐露する。(男の子あるある)

沙希は「ごめんね」と言って、

永くんは何も変わってない、
   私が変わってしまっただけ。

  でも 永くんが変わってしまうのはもっと嫌だよ。」と

  だから一緒にはいられないと伝える。


沙希は 明らかに成長しており、
次のステージに進もうとしている。


運命の相手は 傷つけ合う恋愛から
卒業した後に そっと現れる。(byマスターネーコ)





恋することは 
相手の存在が光になること…

光になる(見える)からこそ、

自分のダメなところ、 

冷酷なところ、

その人を愛せないところ、

寂しかったことが、

かえって明るみになってしまう。


それが 嫉妬やドロドロを生む。

恋の恐ろしいところであり、

気づきの最前線にいるともいえる。


そういう意味で

苦しい恋愛は  「自分とは何者か」を

発見するために してしまうのかもしれない。