運命の相手は
 傷つけ合う恋愛から卒業して
 忘れた頃に そっと 現れる。

 運命の人と出会うと
 キミは より「自由」になり、
「自然体」に戻るねん。

キミが 自然体の自分でいられる時、
そのとき 隣におる人が 運命の人や。


 (マスターネーコ)






「愛ネコ」の中で、

「孤独は 勘違いから生まれる」がありますが、

  あれは 過去の自分のことでもあります。


 人は『楽しい時間を共有したい』生き物で、

 運動会や文化祭など みんなで同じ体験することが

 良いことのように教えられてきたからかもしれない
 
けれど、自分はそれが苦手でした。


  『共感』を求められるのも ストレスで、

  他人から求められる共感を

『同調圧力』と感じていたのです。



自分の心の中の本音は   “好きなことなら 
 
興味のある人だけでやればええやん。

自分は それに興味がないから、
 
押し付けないでほしい。  

どうか 自分を巻き込まないで欲しい

と思っていました。






 そうは思うものの、
興味なさそうな態度を取れば、

空気を悪くしてしまうから 
頑張って興味のあるようなフリを演じてしまう。


でも そうやって自分を騙した後、
一人になると どっと疲れていたのです。


周りと合わないと感じるほど、

私は他人に対して心を閉ざし、

分の世界(価値観)に閉じこもっていきました。


確かに 他人と距離をとれば、

自分の世界は否定されません。


でも、誰からも否定されない

安全な場所にいることで、

自分を守ろうとする殻は 強固になったのです。


そうやって

自分の殻に閉じこもっているうちに、

他人との溝は深まり、

私は  さらに孤独になっていきました。


そんなある日 

インスピレーションの声なき声が

頭の右側に 聴こえてきたのです。


共感を求められるの 苦手言うけど、 

   共感を求めているのはキミの方やで


私は「えっ?」と驚いた。


同調圧力やと勝手に

    勘違いしているのは自分だけで、

   周りは に 楽しいことの提案をしてくれて 

   いるだけやったとしたら


(関西弁かどうかは忘れたけど、
 確かにそのように聴こえたのです。)


「誰も自分に共感など押し付けていなかった。

単に 楽しいことの提案をしてくれていただけ。」


  誰もわかってくれない」と拗ねて、むしろ

『共感』を求めていたのは自分の方だったのです。


そのとき  これまで自分を守るために

身につけてきた殻に亀裂が入り、

わたしの目には 涙があふれました。



もう何も抑えておかなくていいという

解放感に 泣き、

これまでの人間関係にあったあらゆる誤解、

互いを愛せたのに逃してしまった

あらゆる機会のためにも 涙しました。


ずっと 抱えてきた 

これまでの「悩み」や「人間関係」が、

大空に浮かぶ雲のように“実体”のないもので、

本当は、誰もが大きな大空(愛)のなかで、

すでに満たされていたのです。



  人間関係…

  社会人(親)としての役割、

「女(男)は こうすべき」


私たちは 実は 

存在していないはずの柵(しがらみ)を

「現実」だと思い込んで 縛られています。


狭い柵に 勝手に入っておきながら、

自由になりたいと願っている。

「狭」という字は「さ」と読みますが、

 自分を狭める柵(しがらみ)が取れるのを

「狭取り(さとり)」と言います。


 狭取る秘訣は、

自分の世界を狭める柵を手放そうと

頑張ることではなく、そもそも 

そんな柵は 存在していなかったことを見抜くこと


この世界のトリックは


狭取ろうとすると 狭取れない


(自我を手放そうとしてるのが自我(雲)だから)



狭取ろうが 狭取れまいが、どっちでもok牧場。



あなたの本質、

本当の姿は、雲ではなく、大空そのもの。

ポジティブでもネガティブでもない

静寂のなかの揺らぎ。

それが大空の自分であり、本当の自分です。