本物の縁は 
思っていた形ではやってこない
思いもしなかった形でやってくる
 
本物の文章は、
思ったことを書くことではない
思いもしなかったことを書いてしまうことである
 
本物の感動とは、
思い通りになることではない
思いもしなかった出来事を経験してしまうことである
 
目の前の扉が 閉ざされるとき
必ず別の扉が開かれます。
 
何かを失ってしまったのは
あなたが これから
もっと大切な何かに出会うからです。
 
そして 
その何かと出会ったとき
これまでのすべてが
起こるべくして 起きたのだと知るのです。
 
( しみず たいき )
 
 
 
出会って間もないにもかかわらず、
とても素敵な人に見えることってありません?

それは相手についての情報が
まだ少ないにもかかわらず、

自分にとって心地のいい部分を
選んで 見ているからかもしれないって話。

相手は あなたに嫌われたくないし
あなたも相手に好きになってほしいから
素敵な人に見えてしまうだけかもしれない。

僕自身も そうであるように、
人の心の中は
たくさんの自分が内在している

温厚な自分と意地悪な自分。
 
おっさんな自分と乙女な自分

優しい自分と冷たい自分。

勇気のある自分と臆病な自分。

いろんな自分が同居している。

出会って時間が経ってくると、
最初は 見えていなかった部分が見え始める。

すると何だか
裏切られたような気持ちになってしまう。
 
「釣った魚にエサをやらないのね…あの人は」

でも 
それは相手が変わったのではなく、
自分の見方が変わってきただけのこと。

もしキミの中に
『私って すぐ男に裏切られる』
っていう観念を持っていると、
更にその傾向が強くなる。

夫婦関係で 
自分だけが愛していて、
彼から愛されていない
っていう 相談をよく受ける。

魂レベルに問いかけると
多くのケースで
『愛してくれている』
という 直観が降りてくる。

そして 
つれない彼の言動の裏側にある
彼の心理も教えてくれることもある。

その答えを受け取って、
涙をこぼす人も少なくない。

涙をこぼしているとき
何かが浄化されていて
その人は思考の外に出ている

思考の外の世界は 驚きの連続
 
思考の外に出ると
自分が愛されていたのが わかる
 
思考の外に出ると
ただ見ることが 奇跡に感じられる
 
思考の外に出ると
ただ 呼吸するだけで涙が出てくる
 
思考の外に出ると
ただ歩くだけで 笑みがこぼれる
 
思考の外に出ると
 
すべての触れ合いは
触れ愛になり
 
巡り合いが
巡り愛になって
 
世界が ダンスしているように感じられる
 
 
 
今 我々に求められていることは、

考えて行動することではなく、
答えを探して行動するのではなく、

「ふと」した 思いに従って、
「ふと」感じた直観に従って、

動くことなのかもしれないね。

つまり
思考の外の世界
へ飛び出す ということ。
 
 
さぁ みんなで一緒に
思考の外の世界へ ♪
 
 
美しい人生よ~♪
限りないよろこびを~♪
 
 
 
美しい人生よ~♪
限りないよろこびを~♪
 
 
 
 
美しい人生よ~♪
限りないよろこびを~♪