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楽しく生きたいなら 
好きなものを増やしていこう

自由に生きたいなら 
余計な重い(思い)荷物を減らしていこう

充実した人生を生きたいなら 
もっと動いて 自分の殻を破っていこう

幸せに生きたいなら
「今、この瞬間」のすべてに感謝しよう

行き抜いて、息抜いて、生き抜いて

 


 

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素直な人を求めるより

素直な自分でいられる相手

を手放してはいけない

 

自然体な人を求めるより

自然体な自分でいられる相手

を手放してはいけない

 

優しい相手を求めるより

優しい自分でいられる相手を手放してはいけない

 

大事なのは あれもこれも

欲しがることではなく

本当に欲しいものがわかること

 

「上手くやる」よりも「熱くやること」

 

「なにをするか」よりも

「どんな自分でそれをするか」が大事

 


 

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「足りない」と思い込んできた現実が、

「足る」現実だったと気づく時、 

「現実」という言葉を逆にすると 
「実現」になるがごとく、世界がひっくり返る。 

  探し求めていた『愛』は

 すでに実現していたことを知ります

 


 

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人を癒すという行為は
本当は自分を癒しているのかもしれない。

人を育てるという行為は
本当は自分を育てているのかもしれない。

人を励ますという行為は
本当は自分を励ましているのかもしれない。

人を笑わせるという行為は
本当は自分を笑わせているのかもしれない。

人を愛するという行為は
本当は自分を愛しているのかもしれない。

人にアドバイスしたはずの言葉が
本当は 自分に言ってほしかった言葉かもしれない

誰かの為にと思っている行為は
本当は 自分に向けられたモノかもしれない

そう考えると 
この世界のものはすべて、

「ひとつのいのち(本当の自分)」
に繋がっているのかもしれない。
 


 

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人生に疲れた時は、

自然に触れる時間をつくる

 

そうすると

深刻さが消えていきます

 


 

 

「人と人は分かり合える」

ということを前提にすると、

分かり合えない時に苦しみが生まれる。 

「人と人は分かり合えることって稀なんだ」

ということを前提にすると、

人間関係の見方が変わる。 

たまに互いに分かり合えたと思えた瞬間が

貴重なことに感じるし、

心からの感謝の気持ちも生まれる 

 

 


 

 

いい人、優しい人という

副人格に自分を同化していると、

 

自分を主張したり、ノーと言うことが、

わがままで悪いことなんじゃないか、

嫌われてしまうのではないか、と後ろめたく感じる。 

前向き、頑張り屋という

副人格に同化している人は、

 

遊びや休むこと、

リラックスすることに

罪悪感を持ったりする。 

副人格を「自分」と同化させずに、

制限をほどいていけば  
人生がより生き易く、楽しくなる。 

 

 

 

 

人は大人になると、 
「ありがとう」や「大好き」

と伝えることが恥ずかしくなる。 

でも子供たちは、

全身で「ありがとう」や「大好き」を表現する。 

そんな姿を見て

大人の心が洗われるのは、

 

人間の細胞の奥深くに、 
「“ありがとう(感謝)”や “大好き(愛)”」 

が眠っているからかもしれない。 

 

 

 

 


自分の「行動」を否定された時、 

自分の「存在」を否定されたと

 

勘違いしてしまう 思い癖に気づくこと。 

これが、今、あなたに送られてきたメッセージ 

 

 


 

 

「現実はあなたの想い通り」です。

 

「恋人がほしい」というのが

あなたの想いなら

 

今 恋人がいなくて

「恋人がほしい状況」が

想いの通りになっています。

 

「経済的に豊かになりたい」

というのが あなたの想いなら

 

今 お金に困ってて(不安を感じてて)

「経済的に豊かになりたい状況」が

想いの通りになっています

 

どうやら
いい事が起きたから

幸せになるのではなく、


「幸せを感じているから

いい事がオマケで付いてくる」ようです。

 

 

 

 

「 悩み 」はいずれ
「思い出」に変わり、


「 涙 」はいずれ
「経験」に変わる。


「 キズ 」はいずれ
「キヅキ」に変わり、


「出逢い」はいずれ
「 絆 」に変わる。


「 育児 」はいずれ
「 育自 」に変わり、


「 苦労 」はいずれ
「 感謝 」に変わる。


「 試練 」はいずれ
「 宝物 」に変わり、


「 哀 」はいずれ
「 愛 」に 帰る。  

 

 

 

 

愛されたい人は 実は
愛されるのが 怖い人です


お金がほしい人は 実は
お金を持つのが怖い人です。


「愛されたい」の裏側には
「愛されていない」という欠乏感があり


その根底に
「愛されるのがコワい」
という抵抗が隠れています。

 

 


 

お金で幸せになろうとすると
お金で不幸になってしまうし

 

結婚で幸せになろうとすると
結婚で不幸になってしまうし

 

スピリチュアルで幸せになろうとすると
スピリチュアルで不幸になってしまう。

 

足りないものに目を向ければ
不安が生まれ、

足りているものに目を向ければ
感謝が生まれ、幸せになる。
 

 

 

 

今を まるごと受け入れるとは

「返事がこないことが返事なんだ」
と認めること。

「答えがないことが答えなんだ」
と明らめること。

自分を愛するとは
今に抵抗しないこと

 

 

 

 

もし怒っている人が苦手だったり、

気になってしまうなら、

あなたは自分の内側にある

怒りに気づいていないのかもしれない。

 

もし 赤ん坊の泣き声が気になってしまうなら、

あなたは本当は泣きたいのかもしれない。

 

もし 甘え上手な人を見てイライラするとしたら、

あなたも同じように甘えたいのかもしれない。

 

無条件に自分をゆるせば

相手のことも無条件にゆるすことができます。

 

 

 

 

不快な感情がわいてきたら

 

感情は わが子だと思って

その感情を歓迎すること」。 

 

嫌な感情がわいてきたとき

こう言ってみる

 

私は この感情を歓迎します

この子(感情)は 去る必要もなければ、

変わる必要もありません

いまのそのままの自分を愛します

 

すると 不思議なことに、

この子(感情)は 拗ねるのをやめて

次第に おとなしくなります

 

 

 

 

感情を否定し、

取りのぞこうとすればするほど、 
逆にその感情は強くなります。 

緊張や不安から逃げようとするから、

緊張や不安が追いかけてきます。 

緊張や不安から逃れようとしないとき、

緊張や不安だけになり、 


それ以上の拡大はなくなり、

自然に緊張がほどけ、安心がやってきます。 


安心したい私がいなくなった時
絶対的な安心がここにあります
 

 



 

思い通りにしたい、という願望それ自体が

思い通りにならないという現実をつくっていた

 

願いを叶えることで

(自分が)自由になるのではなく

 

願いのないところに

(自分からの)自由がある。

 

 

 


 

意志を強くしたいなら
意志の強い人と一緒にいること


安心感を持ちたいなら
安心感のある人と一緒にいること


運をよくしたいなら
運のいい人と一緒にいること


幸せになりたいなら
幸せな人と一緒にいること


長く一緒にいる
夫婦の顔が似てくるように


「一緒にいる」ことによって、
互いの波動が共振しあい

影響し合っているのです。

 

 

 

 

「それ」を求めれば求めるほど

「それ」から離れていきます 

なぜなら 自分が

“そのもの”だからです。

 

 

 

 

今 一瞬だけでも
手放そうとか、
安らぎを得ようとか、
理解しようとするのを
ストップしてみる。

すると 突然
空間と時間の感覚が
わずかになくなる

 

「私」が開こうとしても
開かなかった次元の扉が 
自然と開かれる。

 

あなたと私は、同じ一つの

全体性の表れにすぎなかった
 

 

 

 

我々は 未来を追いかけることで、

本当に探し求めている

まさにそのものを避けています。

 

そして避けようとしている

まさにそのものを探し求めているのです

 

 


 

人は

永遠に変わらない

「確かなもの」に憧れ


それを

愛と呼んだり

神と呼んだりします。

でも

永遠に変わらないものなんて
何 一つありません。

 

『永遠に変わらないものなんて何もない』ことが

【永遠に変わらない】のです。

 

 

 

 

あなたが「いまに還り」、 

我を忘れるくらい

目の前のことに没頭するなら、 

その行為には

宇宙の根源的な力が宿ります。 

行為そのものが

“相変わらず”普通なことでも、 

その行為を 丁寧に意識的にすることで 
“愛変わらず”奇蹟の連続なんだと気づきます。 

 

 

 


私が生まれた時、

私は愛されていた。 

私が楽しかった時、

私は愛されていた。 

私が寂しかった時

私は愛されていた。 

 

私が病気になった時、

私は愛されていた。 


求める「私」が落ちた時、

求めていたものは ずっとここにあった

 

 

 

 


人は 『何かをしないと』、

満足や安心感が

得られないと思い込んでいる。

 

ところが、よく見ると
満足や安心感って

何もしなくてよい状態」ではないでしょうか?

 

あなたが安心するために、

何かをしたとしても、

 

ほっとしている瞬間、

あなたは何かをしてるでしょうか?

 

何かをしたあとに訪れる

『ほっとする』感覚、

『自分がいない』感覚

それが幸せの正体です。

 

 





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