「あれを買っておけばよかった」と

買いそびれたときに

 

“あれは良いものだった”

と思うことありませんか?

 

これが「執着」です。

 

一度手に入れたら、それはもう

どうでもいいものかもしれません。

 


執着は、幼児期にどうしても

満たされなかったものを ずーっと引きずります。

引きずって、それがうつ状態にもなるのです。

 

中年になり躁鬱が激しくなる人は 特に

幼児期に満たされなかったものを引きずってきて、

 

妻(夫)にも子どもにも言えず…

がんじがらめになってしまい、

行き場を失ったときに、そうなってしまうのです。


まず大事なのは、子どもを育てる前に

自分が「どんな生き方をしてきたのかな」と考えることです。

 


「あぁ、そうか。自分が幼児期に満たされていなかったんだ」

と思った時、一歩前に進めるのです。


「私は小さいときに、親は家族旅行をしてくれなかった。

だから、絶対子どもには旅行させたい」と家族旅行させました。

 

ところが、子どもがぜんぜん感謝しない。

私はこんなに苦労しているのに・・・。

 

それはお父さんが自分の満たされないものを

自分がいま、満たしているだけだからです。


お母さんが、なぜ 学校のテストの点数が気になるのか。

テストの評価に自分の評価を照らし合わせているのです。


なぜ、テストの1,2点にこだわるのか

それは「私」がいま、不安なのです。

 

どうして不安かというと

「私」が幼児期に

親から「あなたは立派ね」と

認められてこなかったからです

 

「わたしは、できない」

「わたしは、価値がない」

 

というコアフレーム(セルフイメージ)

ができ上がったきっかけは

幼少期に 親の言動を

子どもの視点で 

言葉そのままに 受け取ったせいです

 

でも 親自身が 

心に不安や葛藤を抱えていて

自分が ひどいこと言われたのは
親の個人的な問題だったとわかるでしょうか?

 

 

もしかしたら

お母さんはお父さんへの不満を

子どものあなたに

ぶつけてしまっただけなのに

 

あなたは

・「わたしは価値がない」

・「わたしは嫌われている」

というコアフレームを

つくってしまったかもしれないのです

 

自分があれだけ

ひどい仕打ちを受けたのは

あなたのせいではなくて
親の都合だったんだ。

 

「お前はダメだ」と言われたことと
「お前はダメだ」と言われたアナタは

まったく関係がなかったんだ

 

そうやって 目が覚めると

コアフレームが変わりはじめます

 

「毒親」だと思っていた存在が

「禍津日神」だったと気づきます。

 

事実が自分を傷つけたのではなく

事実に対する解釈が自分を傷つけていたのです。

 

 

神道には「善・悪」はなく

禍事を「悪魔だ」と言って 追い払わず

禍津日神」と呼び

神様として受け止めてきました。

 

生きていると

辛い事や苦しい事もあります

 

でも 日本人は 禍事を  

より 「幸ひ(さきはひ)」へと

導いてくれる神様(禍津日神)だと 感謝してきました。

 

ここに日本の懐の深さ(本性)があります。

 

イヤないことだったり、

アンラッキーなことは、

前に進むための抵抗のように

感じられるかもしれませんが、

抵抗があることで 前に進めます

 

帆船が 向かい風を利用して前進するように

空を飛ぶ飛行機は 空気の抵抗が必要なように

 

進化するには 抵抗が必要です

 

より進化するために

反対のものや隠していたものが

現れる仕組みになっているのです。

 

嫌なことやアンラッキーなことを

「不幸だ」と思えば「不幸」になるし

 

見方をかえれば、

「磨かれている」

「進化している」とも言えます。

 

そう捉えると 

有り難いことに変わり

現実が変わりはじめます。

 

( しみず たいき )

 

 

 

ポチッ↓とするだけで 幸せがバルスのように降り注ぎます

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