坂本冬美さんがやって来た。 | 八尾じゅんのブログ

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歌手の森山愛子を応援するブログです。
その他のこともいろいろと書きます。

坂本冬美さんがやって来た。という話。

愛ちゃんともつながりのある話です。

 

坂本冬美さんがやって来たのは、本田美奈子ミュージアム。

(他のブログからお借りした写真です)

昨年の9月8日(土)、私の住む朝霞市にオープンしたばかりのミュージアム(記念館)です。

 

本田美奈子さんは、ミュージカルの『ミスサイゴン』、『レ・ミゼラブル』などのミュージカルへの出演や「アメイジンググレース」などの歌唱で一世を風靡しました。しかし、白血病で38歳という若さで死んでしまった。そのあまりにも若すぎる死が、人々に強いインパクトを与え、今だに多くの人の記憶に残っている歌手の一人です。

 

彼女は2歳の頃から朝霞市に住み、歌手になっても朝霞を離れず朝霞を愛した。

まさに朝霞の誇り。朝霞の生んだ唯一無比の歌姫なのだと思います。

亡くなったのが2005年。

2年後の2007年の誕生日、7月30日には朝霞駅前に、朝霞市によって記念碑が建てられました。

(朝霞駅前の記念碑)

そして、2018年の昨年、本田美奈子ミュージアムがオープン。

(左にミュージアムの入り口があります)

ミュージアムは流通業者の倉庫を改装したものです。

外観は倉庫そのもので記念館・ミュージアムらしくない。

ふだんはミュージカルスクールアミティエというスクールになっています。(ミュージックスクールではない)

ミュージアムは第2・3の土日及び祝日のみ公開です。

朝霞市にはホンダの研究所や自衛隊の駐屯地などがあって有名ですが、それ以外にも出版社や流通業者の倉庫も多く存在する地域。

最近はかなり住宅街になりつつありますが、そんな倉庫の一角にオープンしました。

(ミュージアム入り口)

このミュージアム、実は私の自宅のすぐそばにあります。徒歩で3分以内。

 

生前の活躍していた時期や朝霞駅前に記念碑が建てられたころには、同じ朝霞市の住民であるにもかかわらず、本田美奈子なんて自分とは無縁な存在だった。興味がないとそんなもんです。

 

でも、3年前ぐらい前からぐっと身近に感じられるようになった。

 

というのも、愛ちゃんの事務所の先輩である坂本冬美さんが本田美奈子さんと親交があったということを知ったからです。冬美さん、現在も本田美奈子さんのご家族とは年に一度はお会いするようで、朝霞市には何度も訪れているようです。

 

愛ちゃんのマネージャー氏、以前は坂本冬美さんについていたので朝霞市には何度も来たことがあるという話を聞いたことがありました。

 

そんなわけで、本田美奈子ミュージアムが出来てからは、坂本冬美さんがミュージアムを訪れる機会を密かに私は待望していたのです。

 

本田美奈子ミュージアムへはすぐ行けますし。

 

ところが、先月の1月8日、坂本冬美さんはすでにミュージアムを訪れるていることが判明。
朝霞市の広報に坂本冬美さんが訪れた写真が載ったので、わかりました。

(広報あさか 表表紙)

(広報あさか 裏表紙)

坂本冬美さんのブログを拝見すると、1月8日と17日の記事にそこら辺のことが書いてありました。

(冬美さんの冬美便り)

http://fuyumi-fc.com/letter/
フジテレビの「直撃!シンソウ坂上」(1月24日放送分)というテレビ番組の収録とお墓参りを兼ねてきていたようです。

そして、本田美奈子さんの実家も訪れたようです。
(朝霞市のホームページ)

https://www.city.asaka.lg.jp/site/musashino-front-asaka/asaka-locationservice-sinsousakagami.html

(「直撃!シンソウ坂上}の公式サイト)

https://www.fujitv.co.jp/shinsou/
 

思いおこせば、1月8日はいつもよりミュージアム周辺の交通量が多かったような気がします。

坂本冬美さんが事前に訪問を公表して訪れるはずもなく、1月8日はミュージアムの公開日でもなかったので、一般の私はミュージアムには入ることはできなかった。納得した次第です。(笑)

 

朝霞駅前の記念碑には、本田美奈子さん直筆の詩が刻まれています。

(記念碑の黒い部分が闘病中に作った詩『笑顔』です)

その中から、引用します。

「怒っている顔よりも、泣いている顔よりも、困っている顔よりも、笑顔が一番」