二周目はない ったら。 | 吟遊詩人の遺書  La volonté d'un ménestrel

吟遊詩人の遺書  La volonté d'un ménestrel

『「哀しいことは、小さな歌にして」

孤独の弾きたがり、不幸なやつ クロネコナイフ。

その歌の泉、哀しみの詰まったメモ書き。

胸を張れずに隠すもの。』

人生が恋愛ゲームのように、選択肢を選んだ結果として、今があるとしたら、
どこの分岐点まで戻して選びなおせば、
トゥルーエンドに辿りつけるのか。

違う未来があったのならば…と想像してみるが、
しかしそれは、具体性を欠き、まるで中学生が描いた未来地図のように、あまりに青々としている。
 
僕はあの頃で成長が止まったのだという、そういう妄想の中に生きているのだ、そう
、その自覚はあるにはある。


先日、中学校の同窓会があった。

行くんじゃなかった…とは言えない。
折角呼んでくれた級友たち。気にかけてくれる人がいると言うことは、素直に有難いことだ。
けれど、行って良かったのか、とは思う。

まるで雰囲気に流されてついてきてしまったカラオケのように、お呼びでないかもしれないという恐怖は常に。

みんな口々に言い合う、
「あんな事あったねー」と笑いあえる過去を、僕は持ち合わせていない。

それどころか、「今はこうしてる」と胸を張れるだけの現在も、存在しない。

「みなさん、立派になって…」と恩師の言葉が右から左へ。
忘れられていることを確認するのが怖くて、声をかけられない。

苦痛ではない。
ただ、懐かしいだけだ。
この何処にも行けない感じ、顔を上げられない感じは、寝たふりをして過ごした休み時間と似ている。

ふいに声をかけられる。
ああ、そうだ、ええと、誰だっけ。
たしか、うんそうだ、でも、
いまさら親しく話すのもおかしな話だ。

15年の月日をかけて出来るようになった愛想笑い。

また一つ、選択肢を間違えたみたいだ。