お前ならできる 小倉全由 | 大義道のブログ mosh pit on KARATE 伊藤大地 和道流空手道

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和道流空手、大義道のブログ。千葉県内数カ所(船橋、塚田、行徳、大野、市川、南行徳)で練習してます‼︎子供~大人まで練習中‼︎体験無料です‼︎

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ご飯を食べる時に箸を使うようになり前にやりなさい、とよく言うんです。
箸を使うときにいちいち口まで最短距離で運ぶとか、どこに口があるのか、なんて誰も思わない。子供の頃から何回口に運んだのか、などと考えない。だから無意識に体が動くまで練習しなければダメだと教えています。




人が人を指導し、動かそうとするとき、何よりも大切なのはお互いの信頼です。信頼がなければ、どんな正しいことを教えても選手が動かないし、育ってもいきません。
しかし監督と選手がしっかりと信頼関係を築いていくのは容易なことでは無い。心から選手のことを想い、愛情もって接しなければ、真の絆は生まれません。
そのためにはまず信頼関係を築くきっかけを作ることなんです。どんな些細な事でもいいから、愛情を示してやる。選手の行動をよく観察し、変化に気づいて「俺はお前のことちゃんと見ているよ」と言うことをわからせてあげるんです。
だから、こちらから選手に問いかけることが必要です。
「お父さんは元気か?」「バッティングの調子はどうだい?」と聞けば、「とても元気です」「だいぶ良くなってます」などと必ず何らかの言葉を介してきます。
選手が少しでも上達したら「頑張ってるな」と褒めてやる。悩んでいたら「ちょっと話してもしようか」とさりげなく手を差し伸べてやる。
そこに、いわゆるキャッチボールの会話が生まれ、そして、そこからお互いに理解し合い、心を開いていて、信頼関係が築かれるんです。





教師と生徒という関係においても、先に力を尽くすのは指導者の方であるべきで、ここから信頼関係が築かれ、選手たちが育っていく。





人の子にちょっとやり過ぎじゃないでしょうか?〜
私には娘が2人いますが、その娘同様、選手たち全員を私の子供だと思っています。だから平等に褒めますが、叱る時も平等に叱ります。殴ったりはしませんが、私から叱られない子の気持ちってわかりますか?
監督に叱られないことって、横に置いておかれた選手なわけで、そんな寂しい事はありません。レギュラーとか補欠とか関係なく全員を並べて叱れるチームでなかったら勝てませんし、それが教育なんじゃないですか。





勝てるチームづくりの努力〜
1つのプレイをひたすら繰り返し繰り返し練習することに尽きると私は思います。
完全に1つのプレイができるまで、次のメニューに行かない。選手がしっかりマスターするまであ焦らず、根気よく教えて、確実にできるプレイを一つ一つ増やしていくことが、強いチーム、勝てるチームを作る1番の早道だと思うんです。







練習で覚えたスイングを試合でやって、それが結果に結びつかなかったからといって叱られていたのでは、選手はこれからどんなスイングをしたらいいのか混乱してしまう。結果が凡フライに終わっても、スイングが良ければ、褒めてやることが必要なんです。
「ナイススイングだ。今のスイングで良い。そのうち結果が出るから、負けずに頑張れ」
こうした言葉をかけて励ましてやれば、選手は迷わず、やる気も失わずに前向きな気持ちで野球に取り組んでいきます。







入部してきた1年生に言うこと〜
中学校のレベルは中学校のレベルだから、しっかりと練習することを命じます。前にも言いましたが、それもやらされてる練習ではなく、自ら進んで取り組む練習でなければならない。
「やらされている」と「やっている」頭では、上達に大きな差が出てきます。野球にしろなんにしろ、自分が目標に向かって切り開いていくものです。人に言われてやってみたけど結果が出なかったなんて、そんなつまらない事は無い。助言してくれる人はいるが、やるやらないを最終的に決めるのは自分自身であることを忘れてはなりません。








3高に来て良かったと喜べるようにするのは自分自身なんです。
人生と言うと大げさかもしれませんが、世の中、何をするにしても自分の責任でやらなければならない。どんな小さい事でも、自分で決めたらやらないといけない。思うような結果にならないからといって人のせいにするような人生ではダメなんです。
自分から踏み出していかないことには結果を出せない。でも、それは自分で決める。結果も自分で出す。
やるかやらないか、2つに1つと言うことで言えば、人間なんて毎日選択があるわけです。
朝、目覚まし時計が鳴っても眠い時、起きようか、それともまだ布団の中にようかとぐずぐずしながらも、毎日起きる方選んできている。母親に起こされ、眠いと思ってもちゃんと学校に来ている。学校に行かなければいけないと思って、最終的に選んで登校している。これは母親に言われたからではなく、自分で選んでいるんです。
やると言うのは、そんな感覚でいいし、それほど難しいことではないと戦士たちに行って、自分で決断することの大切さを教えています。








「指導者の辛抱だ」
選手は、自分の教えたことがそのまま目に見えるように成長していく事は無い。どれだけ同じことを言い続けることができるか。それを、見た目で上手くならないからもうやめた、次のことを教えよう、では選手を育てられない。だから指導者は辛抱が必要だと言うことを説かれました。








胡蝶蘭も人間も同じ〜
「育てるといっても難しい話ではありません。水の欲しい時に水をあげればいいだけです。やりすぎたらいけませんが、程度を間違えなければ花が咲くんです。」








感謝の気持ちの基本になるのが日々の挨拶だと思います。挨拶は大切だとつくづく感じた体験があります。
合宿所から千葉の実家の車で帰る途中のことです。首都高速道路の料金所で料金を支払った時、係員がモタモタして、なかなかお釣りが返ってこない。少しイライラして、 
「早くしてくださいよ」
と催促すると、係員が
「日大三高の監督さんですよね。頑張ってください」
と言うんです。
私はじれて、お釣りを急かしたことが恥ずかしくなりました。これからは日本一愛想の良い、明るい運転手になろうと反省し以降、料金所を通る際は
「こんばんわ。おつかれさまです」 
と必ず笑顔で挨拶するようにしたんです。
最初の頃は、挨拶しても係員に怪訝な顔をされていたんですが、そんなある夜のことやはり高速道路料金所だったんですが、いつものように
「こんばんは。お疲れ様です」
と挨拶すると、係員が
「気をつけてお帰り下さい」
と言葉を返してくれたんです。その後帰宅するまでの2時間が、疲れているのにとても清々しい気分で、これが挨拶と言うものだと改めて思いました。
挨拶と言うのは、自分が相手に良い言葉を送り、相手からも良い言葉、良い心もらうことでお互いにつながって生きていることを認識することだと思うんです。
「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」
と言う、普段何気なく使っている挨拶の言葉があります。この挨拶は、もともとお天道様笑朝、昼、晩に感謝の気持ちを表した言葉で、みんな同じお天道様に向かって、感謝の気持ちを表すことで、みんなの心通合わせ、お互いに思いやる、ということなんだそうです。









思いやりの大切さの教えは、私の体験が大きく影響しています。
私が20歳の時、父が交通事故で亡くなりました。事故起こしたのは私と同じ年頃の青年で飲酒運転で道路のセンターラインを越えて、父と叔母が乗っていた車に突っ込んだんです。その事故で父だけが命を落としました。
それまで怪我や病気もしたことのない元気な父が亡くなったと言うことで私たち3姉妹には大変なショックでした。通夜に事故を起こした青年の両親が線香あげに来てくれたんですが、私たち姉妹は怒りが収まらず
「あんたのせがれを連れてこい!うちの親父を殺しといてなんで来ないんだ!」
と食ってかかったんです。すると、母に怒鳴りつけられました。
「この様子さん達がどんな気持ちでここにきてくれていると思ってるんだ!もしお前たちが事故を起こした立場だったらどうなんだ。針のむしろに座らされるのが分かっているのに線香あげに来てくださったんだよ」
母の言葉に、私たちはもう何も言えませんでした。夫を、殺されたのも同然の相手の過失でなくしたわけです。普通なら先行もあげさせないで、もう一回したい気持ちになりますよね。憎しみが湧いて当然なのに、相手の辛い気持ちを気遣う母の態度に感心しました。









相手を思いやる気持ちは野球でも同じです。
野球は勝負事だから必ず勝ち負けがあります。
どのチームも一生懸命やるんですが、そこに勝ち負けはある。負けたチームも負けていいと思うゲームなんて1つもないわけでみんな懸命に頑張るんです。だから、勝敗に関係なくその頑張りに対して敬う気持ちがなくてはならないんです。
また相手の頑張りによって、こちらも全力で頑張って良いゲームができるから感謝の気持ちもなくてはなりません。そうしたお互いの心を思いやる心が、良いプレイを生み、フェアな良いゲームを作るんです













合宿生活の不安を解消するチームメイトの暖かさ〜
小林は足が抜群に早い、期待の選手だったんですが、1年生時の5月位から家に帰ると戻ってこなくなったんです。学校に行くと胃が痛くなると言う。そこで体調良くなるまで家でゆっくり休ませることにしました。
それから1週間後、母親が小林を連れて合宿所にきたんです。そして私の前で小林に諭しました。
「1週間も休んで、監督さんにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。あんたは監督さんに評価されているらしいけど、今のあんたは野球をする資格は無い。1週間も練習してなくて体力も落ちていると思うけど、今日は1回練習をやって監督さんに無様な姿を見せて帰ろう。監督さんが思っているほど大したことがないんだって諦めてもらおう」
すると、小林は母親の言葉に青くなって、「今日からまた詳しく所に入ります」と言ったんです。どこか甘えていたんでしょうね。そこを母親が突き放したんです。
そのとき、クラブ対抗リレーに出た小林が戦士たちと円陣を組んで笑顔で写っている写真が、テーブルに置かれていたんですそれは春の体育祭で小林がリレーのアンカーで走った時の写真でした。チームのキャプテンが、小林の得意としている競争に出ることで元気になるのではないかと気をつかって、小林を走らせたんです。
その写真を見た母親は、小林にこう言いました。
「あんたみたいな生地のない1年生をリレーで1番かっこいい安価にしてくれて、その上みんなで笑顔で囲ってくれる上級生がどこにいるの。ここまであんたを面倒みてくれる野球部を辞めたいならやめなさい」
息子の弱さをついて奮起させる。母親の強さですね。それと、選手たちの小林に対する思いやりを強く感じました。









私は先輩たちに常々、 
「野球人たるもの、カッコイイ男であれ」
と言っているんですが、かっこよさと言うのは裏表のない正直な人間で、どこから見てもその身体に現れる品性みたいなものだと思うんです。
それはどこから現れてくるかと言うと、自分に正直で、いい加減な生活を送らない。
練習ではしっかりと力を出し切って一生懸命やる。そういう中で自然と現れてくるんじゃないかと選手たちに説いています。
必ず誰かが見てくれていると言うことで言えば、かっこよさは他人を意識してやるのではなく、自分でしっかりやっていればそう見えてくるんです。自分に自信を持って相手を思いやりながら何事にも全力を尽くす。それがかっこよさにつながってくる。人間味がそのまま出てかっこよくなるんです。





日大三高野球部の小倉監督。
いちど会ってみたいです。
野村監督にしても小倉監督にしても名将と呼ばれる人の多くは人間育成を挙げる。
勉強になりました。
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