天皇杯、ガンバ優勝!
毎年、天皇杯は特別な思いで見ている。
1999年の1月1日。
この天皇杯の国立に僕はいた。
その時の優勝チームは
『横浜フリューゲルス』
フリューゲルスアワーという番組を僕が担当だった。
その時にまだ若きルーキーだった遠藤保仁がいた事を皆さん覚えているだろうか。
優勝祝賀会にも出席させてもらった。
合併発表があったすぐに僕は天皇杯のチケットを購入した。
必ずフリューゲルスは上がってくると信じて。
当時、突出した強さだったジュビロ磐田と鹿島アントラーズを倒して決勝に登ってきた。
決勝では、奇しくも1993年の開幕戦の、対戦相手であった清水エスパルスを逆転で破って優勝。合併発表後、リーグ戦・カップ戦の9試合を通じて1度も負けることがなかった。
そしてフリューゲルスの歴史は途絶えた。
しかし、僕の中では今でも歴史は紡がれていて、このユニフォームを毎日眺めては各選手の活躍を応援している。
その筆頭は遠藤保仁だ。
今や、日本のサッカー界の代表選手になったと言い切っても過言では無い。最多代表出場もそうだが、類稀なるサッカーセンス。その始まりの時に一緒にいられた幸せも嚙みしめる。
あの時の優勝を思い出させてくれるガンバ大阪の優勝を涙なしでは見られない。
浪花節だね。
でも、そんな臭いこといってるのはカッコ良いと思うのだが。
もう一人こんなカッコ良い選手がいる。
フリューゲルス消滅時に移籍したクラブに残っているのは名古屋の楢崎のみで、海外クラブなどへの移籍を見送った理由として「移籍するとメンバー表の前所属のところに“横浜フリューゲルス”という文字がなくなってしまう」と。
浪花節結構。
まだまだフリューゲルスの名前は消さない。