丹田発声修練会で顕在化された
”自分はこれくらいだから”という制限。
恐らく
中学高校の時に出来上がった価値観だと思います。
どういう経緯で出来上がった価値観なのか?
を考えていました。
僕は幼少期から習い事をしていました。
していた、というかやらされていた。と言ったほうがいいでしょう。
スイミング、習字、公文、塾、サッカー、塾塾塾・・・・
受験受験受験・・・
〇か×、点数で自分が判断される経験をずっとしてきました。
中学生の頃になると、もう分かってしまいますよね。
自分がどれだけできるか、できないかって。
学ねんの中、クラスの中で
自然と序列のようなものが出来上がっていたと思います。
○○くんはなんでもできる。
□□さんはいつも一番いい点数。
点数で超えれないんですよね・・・
そういった経験から、
自分はこれくらいの順位だ。
くれくらいの位置に入ったらいいかな。
妥当な点を無意識に決めてしまうんですよね。
自分はこれくらい。って線引きするんです。
線引きすると、その後どんな行動を取っていきそうでしょう?
想像かつくと思います。
ちょっと躓いたり、出来ないと、
あぁ、自分はこれくらいしかできないんだ。
自分はこの位置なのか。
壁を越えていこうとするチャレンジ精神が消え失せます。
さらにこの考えのまま行動していくと、
やる前から、たぶん無理だろう・・・自分の力では。
やる前から線引きしやらない。
さらには、
無理なことをやりたくないので、
やることすら怖くなっていったんです。
こうやって辿っていくと、
なんとも恐ろしい方向へすすんでいってたんだなと
改めて思います。
もし、その頃に、
その行動をとるとこの先どうなっていきそうか?
という問いが自分にできていたら、、、
50歳を過ぎてようやく自問自答ができるように・・・
ここにくるまで随分と時間がかかりました。
氣づかないて怖ろしいです。
それが当たり前。
それが自分だ。
という考えに完全に支配されていました。
染みついたこの価値観から脱却し
あらたな価値観が出来れば
ここから脱出できるのではと思っています。
氣づきが起きたら、またシェアします。