T-1けやき整骨院
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愛が足りない——その本当の意味
武活中によく言う事がある。
それは「愛が足りない」
そう言うと、「もっと俺を好きになって!」と勘違いされることがある。でも、そうじゃない。
ここで言う愛とは、もっと大きく、もっと深いもの。
たとえば、太陽のようなものだ。
太陽は誰にでも平等に光を届け、毎日変わらず現れ、そして沈む。
大地もそう。
誰しもを支え、歩かせ、実りを与える。
大自然の愛には、感情の揺れはない。
「今日は気に入らないから光をやらない」
「お前には実りを与えない」なんてことはない。
愛とは、そんな無条件のものだ。
では、「愛が足りない」とはどういうことか?
それは、自分の中に「我(エゴ)」が入り込んだ瞬間を指す。
「俺の凄さを見せつけてやろう」
「この場をコントロールしよう」
そんな考えがよぎった時、愛は歪み、大いなる流れから切り離されてしまう。
姿勢はストロー(天と地を繋ぐもの)
姿勢とは、一本のストローのようなものだ。
ストローが曲がってしまえば、飲み物はうまく吸えない。
同じように、姿勢がとは天と地を繋ぐモノ。歪めば、天と地のエネルギーが上手く流れない。流れにくくなる・・・
だが、ストローが真っ直ぐならばどうか?
わざわざ力を込めなくても、天と地が味方してくれる。
そこに「我(エゴ)」を挟む必要はない。ただ、自分が「大いなる流れの一部」であることを感じればいい。
天とは神であり、地もまた神。
この身体は、その神のエネルギーを通す存在。
ここで言う「神」は、キリストでも釈迦でもアラーでもない。もっと偉大で、ずっと大きな存在だ。
その存在は、いつでもそばにある。
我(エゴ)を手放し、愛の塊となる
身体が歪むと、エネルギーの流れは滞る。すると、押されれば簡単に倒れ、負のエネルギーに飲み込まれる。
さらに、意識が「我」に向いた瞬間、天と地との繋がりは断たれる。
そうなれば、自分一人の力で戦わなければならない。
それは、途方もなく疲れることだ。
せっかく、天と地という巨大なエネルギーの恩恵を受けられるのに、「俺が」「私が」と執着した途端、そのすべてを手放してしまう。
だからこそ、姿勢を正し、呼吸し、動き、安心すること。
我を捨て、大いなる存在に身を委ねること。
それだけでいい。
愛は、ただそこに在るもの
太陽を見れば、誰もが安心する。
それは、太陽が「愛」の象徴だから。
神とは、目には見えなくとも「そこに在るもの」だ。
その大いなる存在は、時に優しく、時に厳しく、私たちに豊かさを与えてくれる。
これは、システムなのだ。
私たちはそれを思い出し、姿勢を整え、呼吸をし、自然と一体となればいい。
無駄な力みを捨て、「我(エゴ)」を手放すことができた時、人は愛そのものになる。
そうなれば、ただ「在る」だけで、周りの人を安心させることができる。
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