ハングル入門「千と千尋の神隠し」の89  11/26 | コリンのピグ日記

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안녕하세요?

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千尋はハンコを拾い上げると

「おじさん これ

할아버지, 이거

ハラボジ   イゴ

 

ハクが湯婆婆の姉さんから取って来ちゃったの」

하쿠가 유바바의 언니한테 훔친 도장이에요.

ハクガ  ユバーバエ  オンニハンテ フムチン トジャギエヨ

 

「銭婆の?!魔女の契約印か!

제니바의?! 마녀의 계약도장이냐!

ゼニーバエ   マニョエ ケーヤクトジャギニャ

 

そりゃまた えらいものを・・・」

이런 귀한 것을・・・

イロン キハン ゴスル

 

その時、白い竜を見ると、竜はハクになっていました。

「ああ・・・やっぱりハクだ

아아 ・・・ 역시 하쿠였어.

アア      ヨクシ ハクヨッソ

 

おじさん ハクよ!」

할아버지. 하쿠예요!

 ハラボジ   ハクイェヨ

 

「オウ オウ・・・」

오오   오오・・・

オオ    オオ

 

「おじさん ハク 息してない」

할아버지!  하쿠가 숨을 안 쉬어요.

ハラボジ    ハクガ   スムル アンショヨ

 

「まだ しとるがな

아직 정신을 못 차렸군.

アジク ジョンシヌル モッチャリョックン

 

魔法の傷は油断できんが・・・」

마법의 상처는 방심할 수 없으니까・・・

マボベ サンチョヌン バンシムハル ス オプスニッカ

 

안녕!

 

小倉百人一首 鑑賞と解説 8/100

8 喜撰法師 きせんほうし

わが庵は都の辰已たつみ鹿ぞ住む

世をうぢ山と人はいうなり

現代語訳:私の庵は、都の東南にあって、このように心静かに住んでいる。なのに、ここを世を憂しとして住む宇治山だと、世間の人々は言っているよ

 

出典:「古今集」雑下983

詞書:「題しらず」

作者:生没年・伝未詳。九世紀後半の人。六歌仙の1人。

「宇治の僧」と伝えられるだけ。

 

語句・語法:辰已(たつみ)・巽(たつみ)と書いて東南を指す。

「しか(然と)」は、「このように」の意。「鹿」にかける解釈もある。

「このように安らかに」の意。

うぢ山=京都府宇治市東部にある山。(百人一首博物館もある)現在は「喜撰山(きせんやま)」と呼ばれる。「宇治」と「憂し」の掛詞(かけことば)。都からやや離れた宇治山は、古くから貴族の別荘が多かった場所。

人はいふなり=「人」は世間一般の人。

「は」は係助詞(かかりじょし)、自分はそうは思わないのに、という気持ちを込める。

「なり」は伝聞の意、助動詞。

 

幕末の狂歌:

「泰平の眠りを覚ます蒸気船たった四杯で夜も眠れず」

泰平=太平を表し、太平洋からやってきたペリーの「黒船来航」。

蒸気船=「喜撰(きせん)」という宇治茶の銘柄、それの上等なものを上喜撰(じょうきせん)というのに掛けた。正喜撰とも言います。

たった四杯で=四隻の船(ぺりーが引き連れてきた船の数)

「たった」という言葉で日本の慌てようが感じられます。

嘉永6年(1853)、日本との交易を求めて浦賀にあらわれたアメリカ東インド艦隊司令官ペリーが率いる4隻の軍艦が、国内を混乱の渦に巻き込んだのです。

結局、徳川幕府はペリーの強硬な姿勢に屈する形で、安政元年(1854)に日米和親条約(神奈川条約)、その後日米修好通商条約を結びます。さらにオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様の条約(安政の五ヶ国条約)を結び、日本は長い鎖国政策を解いて開国することとなりました。 

神奈川県浦賀・久里浜(くりはま)海岸にぺりー上陸記念碑があります。

(コリンはボートで沖から眺めたことがありますw)

久里浜港に面したところに久里浜公園があり、日本側からは多くの藩士が出迎えたわけですが、そこで上陸したアメリカ海軍は、アメリカの国歌とアルプス一万尺を奏でて、行進し、居並ぶ藩士は肝を抜かれたそうです。