ハングル入門「千と千尋の神隠し」の88  11/25 | コリンのピグ日記

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안녕하에요?

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シュワーッと黒いドロドロが溶けるとそこに「ハンコ」とニョロニョロの虫が1匹いました。

「ハンコ!」

 도장!

 トジャン!

 

虫は逃げ回り、千尋は追いかけました。

「逃げた!あっち!あっち!」

도망친다! 저기!  저기!

トマンチンダ  チョギ  チョギ

 

アッ!ワッ!キャッ!

千尋は怖がりながら足でダン!ダン!

するとブッチッ!

「ヒッ・・・!」

 힉・・・!

  ヒック

恐る恐る足を上げてみるとそこにネトーーっ・・・

虫を踏み潰してしまいました。

「エンガチョ!千!エンガチョ!」

  끊기.        센!    끊기!

  クンギ      セン   クンギ

 

震えながら釜爺の方を向いて両手の指で輪を作りました。

釜爺は

「きった!!」

잘랐다!

チャラッタ

 

안녕!

 

小倉百人一首 鑑賞と解説 7/100

7 阿倍仲麿 あべのなかまろ

天の原ふりさけ見れば春日なる

三笠の山に出でし月かも

現代語訳:大空をはるかに見渡すと、美しい月が出ているが

あれは昔、故郷の春日にある三笠の山に出ていた月と同じ月なのだなあ

 

出典:「古今集」羇旅(きりょ)406

 

詞書:唐土(もろこし)にて月をみてよみける

 

作者:701(698とも)-770.船守の子。

 

717年、16歳の頃、遣唐留学生に選ばれ、吉備真備(きびのまきび)、玄昉(げんぼう)らとともに中国(唐)の都・長安へ渡りました。その当時、世界の最先端にあった文化を学んで帰国すれば朝廷の中心となる重要な地位に就くことが約束されていました。

 

ところが、彼の秀才ぶりが次第に周囲に認められ、難関の科挙(かきょ:中国の高級国家公務員資格の認定試験制度)に合格、玄宗(げんそう)皇帝に気に入られたため、唐にとどまって活躍しました。

 

中国名「朝衡(ちょうこう)」として36年仕えた天平勝宝5年(753年)、53歳となった仲麿は、その時遣唐使として来ていた藤原清河(きよかわ)とともに帰国することを決意します。

玄宗皇帝に帰国を許され、明州(みんしゅう)の浜で唐の友人たちによる送別会が開かれました。しかし、暴風で船が難破し、安南(あんなん:ベトナム)の海岸に漂着します。仲麿は苦労して長安に戻りましたが、安史(あんし)の乱による戦乱のため、日本への帰国をあきらめるほかありませんでした。

最後には安南(あなん:ベトナム)の節度使(地方の軍司令官兼行政長官)に任命されています。結局、長安で72歳で亡くなりました。

遣唐使船とは、長さ約25メートル、幅約7メートルの帆船で、風の力で進みます。合計約40隻の遣唐使船が中国へ行き、そのうち約12隻の船が壊れたり沈んだりしたそうです。

仲麿の死を日本に知らせたのは、779年3月に来日した唐使でした。日本に残され、生活に困っていた家族に補助金が出ています。

 

文芸面では唐の大詩人である李白(りはく)や王維(おうい)とも親交があり、遭難死のうわさを耳にした李白が仲麿の死を嘆いて作った詩が残っています。

 

語句・語法:

天の原=大空。「原」は大きく広がっている様子を表す。

ふりさけ見る=遠くを眺めやる。

春日なる=「春日」は現在の奈良公園から春日神社のあたり。

三笠の山=春日神社後方の、若草山と高円山(たかまどやま)との間にある山。遣唐使が出発する際、春日山のふもとで天神地祇(てんじんちぎ)に無事を祈る習慣があった。

出し月かも=「し」は過去の助動詞。かつて見た三笠の山の月をさすが、今振り仰いでいる月も重ねられている。「かも」は奈良時代によく用いられた詠嘆(えいたん)の終助詞。