コソボ紛争直後の2000年から10年以上に亘り,紛争で重度の火傷を負ったコソボの子どもを受け入れ,計15回の手術を行った東京衛生病院及びその受入れのサポートを行ってきたADRA Japanの取り組みを高く評価するとともに,草の根医療に携わる関係者に対する敬意を表しました。また,医療分野における国際貢献のあり方について意見交換しました。

 

以下 外務省HP

https://www.mofa.go.jp/mofaj/erp/c_see/kosovo/page23_002915.html

 

 

コソボと日本の架け橋、ベシアナちゃん

ベシアナ・ムスリュウちゃんは1996年生まれ。

1998年のコソボ紛争中、村がセルビア軍による攻撃を受け、ムスリュウ家も砲撃を受け、炎上しました。当時1歳9ヶ月だったベシアナちゃんは2階で寝ており、燃え上がるベッドに横たわったまま泣いていました。父親は火の海に飛び込み、命懸けで彼女を救出しましたが、ベシアナちゃんは大火傷を負いました。頭部と右顔面にはケロイド状の火傷の痕が広がり、右頭部の毛髪を失い、右耳も半分以上形を失ってしまいました。両親は必至でベシアナちゃんを治療してくれる病院を探しましたが、コソボでは彼女の治療は不可能でした。

 当時、コソボで支援活動を行っていた特定非営利活動法人 ADRA Japan(アドラ・ジャパン)が、ベシアナちゃんを日本に連れてきて治療を行いたいと考え、ADRAJapanと姉妹関係にある東京衛生病院が受け入れ先となり、治療を行うことを決断。2000年から11年の長きにわたり、15回の手術を行い、多くの方々の祈りに支えられ、治療を終えることができました。

 現在ベシアナは22歳。初めて当院に来たのは3歳の時で、全く笑わず、いつも泣いていた子が、治療を続けていくうち、笑顔を取り戻してきました。また、日本語も上達し、現在コソボで通訳の仕事をしているそうです。

ベシアナは、「私の涙と苦しみは、笑顔と幸せにかわりました。私が今こうしていられるのは、皆さんのおかげです。」と話してくれましたが、彼女を受け入れた私たちもベシアナを受け入れることにより、多くのことを学ぶことができました。 コソボと日本、ベシアナが大きな架け橋となってくれることを願っています。

 

ベシアナちゃんから日本の皆さんへ宛てたビデオメッセージ (約10分)

https://www.youtube.com/watch?v=uHoT0vbe9Gw&t=100s

 

  

  

 


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