もう30年ほど前になるだろう。NHKでチンパンジーの驚きの行動を記録した映像をもとにした特集番組が放送された。子供を感染症で亡くした母親が、2ヶ月ほど子供の遺骸を背負い続ける行動だ。地政学的に他の群れと隔離された状態で世代交代を続けてきたその群れでは、こう言った行動が多発的に何例か確認されている。霊長類の中で最も行動が人間に似ているとも言われるチンパンジーのこの行動はどう解釈されるべきなのだろうか。
一年ほど前、南シナ海のパラオの中のペリリュー島で、亡くなった日本兵の埋葬地が新たに確認された。その数は1000人とも伝えられている。現地の当局者や関係者を含め、日本からも遺族や関係者、ボランティアなどが訪れて、何度か遺骨の収集作業が行われている。
ニュースの中の解説コーナーのインタビューで話を聞かせてくれたのは、戦車隊の隊長で35歳の若さで戦死した兵士のお孫さんで、遺骨が日本に戻る事を切望していた。至極当然の思いであり、当事者ではない我々でもその思いは共有できる。そして、胸が詰まる。
3ヶ月ほど前、東日本大震災の犠牲者の遺族のもとに、津波被害で行方不明となっていた子供の遺骨が帰ってきた。母親は、驚いたと同時にとても嬉しいと話していた。また、尽力してくれた方々に感謝していると。
人類は言葉を持ち、死の意味も理解していると言っていいだろう。そういう感覚や考え方は、信仰として、そして文化として残り、多くの儀式へと連なる。その儀式の過程で故人への想いを整理して、思い出へと、胸の中の存在へと昇華させ、次への歩みを始める。その悲しみの心の過程は、人間を人間たらしめてるとも言える。
その行動の起源が一部の群れとはいえチンパンジーの中にも見られるのは驚きでもあり喜びでもある。
死に深い悲しみを感じ、その悲しみを昇華させるために時間を費やすという命の重み。
深い悲しみを感じる事こそ、今ある命を大切にする事に繋がるのだから。