一週間ほど前、ニュース番組の中で、青森県六ヶ所村の空襲について特集された。日本とアメリカ、双方の公的記録には残っていない攻撃の歴史なのだが、実際には6〜7カ所の密集地域が空爆され、加えて機銃掃射での攻撃も受けたという。
爆撃による火災で多くの建物が消失し、中には引き返して来て機銃掃射を繰り返す戦闘機もあったと言う。目標に設定されていなかった村を爆撃し、逃げる人を機銃掃射で繰り返し攻撃する。戦争は人を変えると言う。いや、人がそもそも持つ残虐性を浮かび上がらせるのかも知れない。
証言者も年を重ねて、年々その事実を目撃した人は少なくなる。今、資料館の館長らを中心に、もっと情報収集して、村の歴史にきちんと刻もうと奮闘している。
青森市でも空襲があった。中心市街地は焼夷弾により跡形もなく消失した。僕の両親も今でいう高校時代にその空襲に遭い、山の方へ山の方へと逃げたと言う。焼夷弾が落ちると油の染み込んだ断片がそこいらじゅうに散らばって、建物や人々の衣服を燃やす。父は爆撃機が来ると田んぼの水路に身を投げ出して、『炎』に襲われない様にしながら逃げた。
伯母は、こんな経験をした。時折、巡回のために飛来する戦闘機。友達二人と一軒の民家の軒先に隠れようと思って近づいたところ、「あなた達が居ればウチが狙われるから出て行きなさい」と追い払われた。伯母達は年配の女性に逆らえず、その場を後にした。自らの家と身を守る為とはいえ、本来取るべき行動は違って然るべきではないだろうかと思ってしまう。
大叔父は、戦闘機の飛来に気付き、大きな木の影に隠れた。気づいていた戦闘機のパイロットは機銃掃射で大叔父の周囲に銃弾を打ち込んだ。そして、飛び去ったと思われた戦闘機は、反転して再び木の影に隠れた大叔父を狙って機銃掃射をし飛び去った。戦争とは言え、何故、どうして、戦闘員でもないたった一人の人間を殺そうと繰り返し機銃掃射をするのか。戦時下の人の心の異常さがくっきりと浮かび上がる。
今、世界のあちらこちらで戦争や紛争、内戦が起きている。大局ではなく現地で行われている生命のやり取りは、常に残虐で悲惨なものと言っていいだろう。
一部の歴史学者や生物学者は、増えすぎた種はお互いに縄張りを守るべく争ったり、集団で自殺とも思える行動を取る事があるため、戦争もその一例かも知れないと公然と発言していた。
ふざけないで欲しい。『人』だからこそ他の解決策を見出す努力もできる。国家や集団を引っ張る上層部が悲惨な戦争を起こしているのが実情だ。
誰しも、『隣人』ひとりひとりを敵だとは思っていないのだから。