小学校、中学校はいつの時代も子供達にとってかけがえの無い思い出の詰まった場所である。遠足や運動会、学習発表会に文化祭と毎年行われる行事が目白押しだ。そんな大袈裟なものでなくとも、体育や音楽や図工、美術の時間が最高に楽しかったと言う人もいるだろう。
僕は、図工や美術が飛び抜けて得意という事はなかった。小学生の時に2度、描いた絵が展覧会の末賞に選ばれたくらいだった。それでも、普段の勉強とは違った授業内容は楽しく、少しだけ友達とワイワイがやがやできるのも嬉しかった。
中学2年の美術の時間、取り組んでいるものが何かは全く覚えていないのだが、美術の女の先生が、口笛を吹いてるのは誰だと教室内に問いただした。僕ははっとして手を挙げた。ウキウキして作業中についつい口笛を吹いてしまっていたのだった。
先生は僕に歩み寄り、拳の指の部分で僕の頭をコツンと叩き、こら、だめだぞと言った後、中村の口笛を聴きたい人は?とみんなに問いかけた。皆んなは声を揃えて、はあいと応えた。
僕は教壇の横に連れて行かれて、一曲吹いた。何の曲かも覚えていないが、短かったと思う。童謡か何かだったのではあるまいか。口笛の演奏が終わると、先生がみんなに向かって拍手〜と言いながら自らも拍手した。教室内は拍手と笑顔に包まれた。
先生は最後に、上手だったなあ、と言い、でも授業中に吹いちゃだめだぞと、キッと僕を見つめた。温かい眼差しだった。
先生の仕事は人間相手であるが故に昔から大変で、こなすべき仕事で溢れている。ゆとり教育が叫ばれて久しいが、授業の進め方や先生方の心のゆとりに焦点を当てる事も必要だが、社会全体のゆとりもなければ本当の意味での『ゆとり』は生まれてこないと思う。
もう一度想像して欲しい。美術の先生と僕との思い出が、どれほど温かいものだったのかを。
立派な大人であるはずの僕も含めて、沢山の大人たちで子供達を豊かにするお手伝いができないものだろうか。