3年前の初春、僕はWBCの各試合に熱狂し、準決勝、決勝と息を呑む試合の結末に都度感動した。大会を締めくくるにふさわしい大谷翔平くんの最後の一球には痺れた。エンジェルスのチームメイトでキャプテン的存在のトラウト選手の空振りで日本の優勝が決まった。
記憶では、TBS系列だったりフジ系列だったり、民放の持ち回りで放送していたと思う。ところが今回は、Netflixだという。一瞬眉をひそめて小首を傾げるほど、不思議な報道だ。NetflixがWBC全試合の日本での放映権と配信権の全てを獲得したとのことなので、当然、地上波や普段見ているBS放送の電波には載らないことになる。簡単に言うと、テレビでは観られないと言うことだ。
現代は、若者を中心にネットTVが当たり前の時代となり、毎月定額を支払って過去の番組や映画、果てはバラエティ番組に至るまで、正に『テレビの様に』視聴している。しかも、スマホでいつでもどこでも利用できるのである。我が娘も3社ほど契約している様に感じる。
技術の進歩と時代の流れで僕の考える日常は日々少しずつ変化して、40年前に映画の中で描かれていた、近未来の便利ながらも不可思議な世界に否応無しに連れて行かれる感覚だ。
間違いなくWBCは開催されてその映像はネットワーク網に流れて行く。しかし、『普通に』暮らす僕らお年寄りには届かない。
一体全体、WBCの感動の瞬間は誰の為のものなのだろう。全ての世代で共有出来ないのだろうか。
お年寄りの一員である僕は、置いてけぼりにされた悲しい気持ちに苛まれる。