昨夜、気候変動対策に関するフェイクニュースがネット上に溢れていて、その再生回数もとてつもないものだというニュースに触れた。間もなく参議院選挙が行われるが、既に不法選挙だの票の書き換えだのというフェイクニュースが出回っているという。票を書き換えられない様にボールペンを持参するというものも。空いた口が塞がらないほどの空虚な情報だ。
古来、人は普通と違う物事に興味を持ち、畏れと同時にその物事に触れたい、そして凌駕したいという欲求を持っている。人類がここまで人口爆発したのは、興味に対するその様な向き合い方も一端だとも言われている。
フェイクニュースの場合も同じことが言える。一瞬耳を疑う様な情報だと思っても、もしもこれが本当なら大変だとか、対抗して何かしなければいけないと思う『人類の持つ興味』が拡散に繋がっていると言って良い。人の意識は刺激の強い方向に流れるものだ。
では、そもそもの発信者はどうだろう。何の根拠もないが、社会全体、もしくは世の人々を心配して、もしもこうだったら大変だと警鐘を鳴らしてくれているのだろうか。答えは『否(いな)』である。
クリック数(閲覧数)が増えることで収入を得るために、偽情報だと知っていて、もしくは偽情報を作り出して世に送り出しているのである。愚かの極みであり、犯罪である。
『怖いもの見たさ』や『人は毒を好む』、『毒を食らわば皿まで』など、危ないと思ったり変だと感じたりしても首を突っ込んでしまう『人』という生き物。しかし、SNS全盛の現代では、嘘が一人歩きをしてまるで真実の様に拡散されて人々の行動規範にまで影響を及ぼすことを忘れないで欲しい。これは、AIで作成された事故映像や災害映像を、嘘かもしれないけれど、もの凄い迫力だから他の人にも見てもらおうとと拡散することも同義だ。嘘はどこまで行っても嘘なのだ。
『私』はリツィートしただけで、作った人でも発信者でもないから良いのだと思わないで欲しい。嘘やデマを拡散しないで欲しい。
一人一人が意識するしか方法はない。