母は、保育園の卒園会で園長先生が話した言葉が忘れられないとよく言っていた。たくさんの父兄がいる前で僕を紹介して、この子は今まで自分が出会ったことのない才能を持っていると言ったという。総理大臣か大泥棒になるかのどっちかだと。今、母の言葉を思い返しても、誰か一人を褒めるのは、教育者の言葉としてはどうなのかなと思う感じもある。しかし、僕を認めてくれたということでは、最初の人物だった。


 中学2年生の時、父親参観日があり、父は僕の勉強と成績の具合はいかがなものなのか相談したいという気持ちで訪れた。面談の席で、担任の雪田先生は、勉強は全く問題ありません。それよりも、隆男くんに何でもいいので何かスポーツをさせて下さい。もの凄い運動神経なんですと力説していたという。

 雪田先生は体育教師で、体躯の授業で子供たちにとって初めての種目や演技があると必ず僕を指名して模範演技とした。当たり前のことながら僕も初めてのことでも、おかげさまで全て一回でできたし、もう一回みんなに見せてと言われても、技術なり演技を再現することもできた。

 父はスポーツどころか運動すらしなかった。なので、小さい頃から父に何かを教えてもらうことは無く、泳ぐこともスキーも鉄棒もみんな友達と遊ぶ中で覚えて行った。そんな父だったので、僕をきちんと育てる事は、いい高校に入り、いい大学に進む事だった。なので、雪田先生との会話は全く満足できるものではなかったらしい。

 でも、僕は違った。300人の生徒の体育指導をし、バレーボール部を県下の強豪にした雪田先生がどの部活にも入っていない僕を認めてくれたのだ。


 今、この歳になって、昔は認めてもらえていたんだぞと過去の栄光をただただ知ってもらおうということではない。これからも、残りの時間を使って、出来ることを頑張りたいと思っている。


 何年経っていても関係ない。人は誰かに褒められることで伸びる。やる気も湧いてくるのである。