『 Nothing about us without us 』という言葉をご存知だろうか。自らも筋萎縮症を患うデビッド・ワーナー氏が、活動するチームメイトと共に、自分たちの気持ちをよりわかって欲しいという思いで1998年に書いた言葉である。

 直訳すると『私たち抜きで私たちのことを決めないで』。英語には、共通する単語を繰り返す時、主語や動詞を省いて強調する表現がある。この場合だと『us』(私たち)が繰り返される単語で、全てを書き表すと『 Anybody may make decision to nothing about us without us. 』だろう。


 身体や精神に障がいのある人は、個人や団体に支援をしてもらうことがある。しかしながら、実際に不自由さを実感していない人が優しさや気配りで行ってくれる支援や行動が、果たして当人たちの求めに沿っているかどうかはいつの時代でも疑問視されてきた。

 今では、団体や政治の場でも、当事者たちから意見を求めてより良い支援にするべく活動の質も変わってきている。どこまで行っても完全であることは難しいのだろうが、話し合いと相互理解は大切だと思う。

 支援をしたいと思っていても、どうやって声をかけていいのか、または、声をかけても必要ないと言われたらどうしようと思って立ち止まってしまうケースもあるとよく耳にする。


 今、アメリカのトランプ大統領がロシアのプーチン大統領と電話会談をして停戦に道筋をつけようとしている。殻に閉じこもって閉鎖的な政治体制を執るロシアを、まずは交渉の場に引き出すために行なっている事前交渉だが、当然ウクライナのゼレンスキー大統領には不安が付きまとう。色々なことが二国間で勝手に決められるのではないかと。


 まさしく『私たち抜きで決めるな』である。


 他国の勝手な侵略による戦争被害を受けている民主主義国家が、自分たちが晒されている暴力を『許せない』と発言することが、たとえ首脳会談の場であったとしても許されないとはどういうことなのだろうか。


 交渉には手順があると言うかもしれない。ロシアを悪者呼ばわりしてしまうと交渉の場に出てこなくなると言うのも分からなくはない。


 しかし、弱者に目をつぶってもらう手順にはならないで欲しいと思う。