僕は『嵐』の歌が好きだ。妻もそう。明るくなるような元気になるような、溌剌として突き抜ける歌声がいい。

 『カイト』という曲がある。米津玄師くんの制作で、子供の頃の夢と畏(おそ)れを少年青年と時を経て振り返る。その象徴としてカイト(凧)がある。夢を体現するかのように大空をかける輝くカイト。やがて青年になってからそのカイトを見ると、汚れていて小さかったと。決してがっかりしてうな垂れているのではない。こんなに小さかったのに、こんなにボロボロになるまでに僕を勇気づけてくれてありがとうと伝えたいのだと思う。


 同じ場所でずっと暮らして中学、高校と育つと、周りの環境の感じ方が常に更新されてゆく。そのために、幼い時に感じた全ての『もの』の大きさに対する畏れの様なものは消え去ってゆく。

 僕は小学2年生で引っ越しをした。そのため、子供の頃に見たもの、触れたものを久しぶりに見ると、こんなに小さかったのかと驚く。家から保育園までの道。裏手の水路。そして小学校の前の堰(せき)。昔住んだ家の前の通りの道幅。夜宮で賑わう久須志神社までの道のり。家から銭湯までの道のり。良く遊んだ流れは大きな川だと思っていた。幼い頃は、全てが大きく、広く、遠かった。


 子供と話す時は屈(かが)んで話すと良いという。子供にとって大人は、見上げる遥か高みから話してくる巨人なのだから。しゃがんであげることによって子供の心は落ち着く。

 そしてもうひとつ。しゃがんで子供と話をしながら周りを見渡した時に、普段見ているよりずっと低い視線から世界が見えてくるのではないだろうか。


 時には、少しだけ子供に戻りましょう。