ほとんどの生物は、子孫を残す為に活動し、役割を終えると死に至る。鳥や、人を含む哺乳類は複数回産卵、出産をし子育てをするが、生物学的には子孫を残して種を保存するのが第一義であり、ここに疑う余地はない。
ところが、哺乳類の多くは誕生から初めての出産までの年月の何倍も生きる。ネズミは1ヶ月程で成熟して、寿命は2年ほど。犬は半年から1年で成熟し、寿命は12〜15年。そして人の寿命は80歳を超えている。人と、愛玩動物は医療の進歩もあって自然界より1〜2割寿命が長くなったいるとしても、やはり何倍も生きていることになる。
昔々、大学生の頃だったろうか。生物学的な視点からして、子育てを終えればあとは余生だとの話を聞いた事がある。とんでもない。仕事はまだまだ続くし、健康でありさえすればその後に楽しみたいことはたくさんある。
辞書には『生涯の残りの部分』とある。それは、その人がひと息ついたときに、さて、残りの人生はと考えた時点から先が余生ということだ。決して子育てだけが区切りではないだろうし、ある目的が達成された時と捉えることもできる。
それでは青春はどうだろう。
そう皆さんに問いかけるだけでわくわくしてしまう。それはなぜか。僕は未だに青春を感じているからである。家庭を守らなければならず、どんな事にも耐えて、吐いてでも仕事を続けたこともある。決して周りのせいだけにするつもりはないが、人間関係に苦しんでのことだ。そういった事柄を超え、今は妻と2人で穏やかな生活を送っている。
年齢を重ねてなお輝いている人は沢山いるし、若い人より元気に走り回っている人だっている。今時点からの僕の残りの人生を余生とは呼びたくない。笑って食べて大好きな文章を書いて、たまには旅行に行く。
この生活を青春と呼ばずしてなんと言おう。
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サミュエル・ウルマンの「青春の詩」から。
『年を重ねただけで 人は老いない
夢を失ったとき 初めて老いる』
※『夢』の部分は『ideals』なので『理想』と訳すのが正しく、ほとんどの新訳はそうなっている。しかし、どうもこの旧訳の方がしっくりくるので、勘弁願いたい。