父はプラモデルが大好きで、第二次大戦時の各国の戦闘機や爆撃機を好んで作っていた。ドイツのメッサーシュミットやアメリカのムスタング、イギリスのグラマン。そして日本の零戦。お店にあるようなガラス張りのショーケースをどこからかもらって来て、3段のスペースに10機ほど飾っていた。

 その手際はとても丁寧で、塗装も時間をかけてムラなく塗っていた。父の部屋はいつもシンナーの匂いがしていた。


 僕は小学生の頃からいつしかパイロットになりたいと憧れるようになった。父のプラモデルの影響なのかどうかははっきりとは覚えていないが、全く影響がなかったとは言えないだろう。

 航空自衛隊三沢基地での航空祭には毎年連れて行ってもらった。広い敷地にずらっと並ぶ沢山の軍用機たち。練習機に輸送機、ヘリコプターに戦闘機。そして、誰もが憧れるブルーインパルスが遠くに並ぶ。

 デモ飛行の目玉は戦闘機の単独飛行とブルーインパルス。華やかな雰囲気の中、立ち見の観覧席の近くをものすごい爆音と共に通過すると大きな歓声が上がる。


 高校3年生の時、航空自衛隊の航空大学校の試験を受けた。お給料を貰いながらパイロット資格を取得できる。試験勉強などしていなかったが、合格するだろうと思っていた。結果は不合格。試験に携わった父の知り合いから詳しい話を聞くと、国語か社会のどちらかでもう一問正解できていれば合格だったとのこと。数学も英語も理科も問題なく、空間位置などを把握する適正試験はトップだったと。


 悔しくて今でも思い出すことがある。しかし、悪いのは勉強をしなかった僕だった。


 一方で、とてつもなく懐かしい。夢を持てたことは幸せだったと思っている。