ヨーロッパピクニック計画をご存知だろうか。旧ソ連の衛星国(ソ連の影響下)であったハンガリーで、国家元首も絡んで意図的に起こされた運動であり、事件である。
1989年3月、ハンガリーの民主改革派で前年就任したばかりのネーメト首相は、ソ連のゴルバチョフ書記長(大統領)と秘密裏に会談した。当時のハンガリーはソ連の衛星国の中で最も民主化が進んでいた。ネーメト首相は西側諸国であり隣接するオーストリアとの国境に敷設(ふせつ)されている300kmに渡る鉄のカーテン(有刺鉄線)の不要性を暗に示唆した。そしてその言葉を受けたゴルバチョフ大統領は、「我々は窓を開きつつある」と応え、東西間の自由な行き来はいずれ避けられないことを暗に認めた。これを以って5月、鉄のカーテンの撤去が始まる。
その後、ハンガリーの有志は、オーストリアとの国境の一部を一時的に開放して両国民がイベントやバーベキューを楽しむ『ヨーロッパピクニック』を計画する。東側諸国同士では許可をとりさえすれば旅行できたため、東ドイツ国民がハンガリー経由で西側に亡命できることでベルリンの壁に打撃を与えられるのではとの思惑もあった。
ネーメト首相とゴルバチョフ大統領の秘密裏の会談からわずか半年足らず、1989年の8月にヨーロッパ・ピクニックは実行された。解放された検問所を通って、この日だけで661人の東ドイツ国民がオーストリアに入国し、その後用意されたバスで西ドイツへの亡命を果たす。越境者は8月一杯で3000人に達した。
その後ハンガリーは、滞留している東ドイツ国民1000人をブダペストの協会の裏庭にテントを設(しつら)えてかくまい、密かに西ドイツへのパスポートを作成した。
西ドイツのコール首相は、面会したネーメト首相の人道的配慮に対し、目に涙を浮かべて、「ネーメト首相。ドイツ国民はあなた方とハンガリーの勇気を永遠に忘れない」と語った。
さらにコール首相はソ連がどう動くか懸念が払拭できないままにゴルバチョフ大統領と電話で会談した。ゴルバチョフ大統領は「ハンガリーの人々はよい人たちだ」とだけ返したという。暗黙の了解を取り付けたのだ。
このわずか2ヶ月半後、ベルリンの壁は市民の手によって破壊される。事実上、東西冷戦の幕が閉じた瞬間だった。
この計画に参画したネーメト首相、ハプスブルク家当主のオットー氏、民主活動家メサロシュ・フェレンツ氏、女性運動家フィレプ・マリア氏、民主改革派指導者ポジュガイ・イムレ氏。その他多くの人々が、秘密裏とは言え東ドイツ、ソ連からの報復を恐れずに計画を実行したことに敬意を表したい。
加えて、ロシア国内の反発を恐れず積極的に静観し、その後もロシアの民主化を進めたゴルバチョフ大統領に賛辞を送りたい。
ゴルバチョフ氏は亡くなる半年ほど前(2022年没)、ウクライナに侵攻したプーチン大統領の強権姿勢を真っ向から非難していたことも追記しておきたい。