小説を読むことは、著者が紡いだ言葉たちが織りなす世界を、読者それぞれの頭の中で描き、想像する作業である。決して意識をしている訳ではなく、さまざまな場面や登場人物の『ひととなり』を頭の中で形づくる。そして、読者なりの映像が作られてゆく。文章の中に感情表現もあるだろうし、隠された感情を推測することもある。全てを自分の頭の中で描き切る。

 では、ドラマや映画はどうだろう。空も建物も室内も映像に映し出され、登場人物はくっきりとした『ひととなり』を携(たずさ)えて目の前に現れる。観ている僕たちは、それら提供される映像を観ながら、登場人物の気持ちを演者の表情や態度、仕草で想像する。


 人に依(よ)りけりだと思うが、僕は同一作品で小説と映像作品の両方に触れることはしない。

 小説を読んでから映像作品に触れると、自分の中で創られた『世界』を壊されてしまうのではないかと感じる。せっかくの感動が損なわれるのではないかと。

 逆に映像作品に触れたあと小説を読むと、映像作品の脚色された美しさや登場人物の存在感との間にズレを感じて、やはり感動が損なわれるのではないかと思ってしまう。


 地元テレビ局で、唐沢寿明と江口洋介主演の『白い巨塔』がリバイバル放送された。リアルタイムでも観た作品だが、時が経っていたのでとても新鮮に観ることができた。一日2話で21話まで。特に唐沢寿明が演じる憎まれ役の財前教授が腹立たしく、江口洋介演じる里見教授を応援していた。一転最終話では涙が流れた。実現の仕方が極端に違うのだが、互いに目指すものの根っこは共通しているのだと。


 つい先程見終わったばかりで、まだ物語の中に浸っている感覚がある。


 山崎豊子氏には誠に申し訳ないが、この感動をそのままに留(とど)めたいので原作を読まないでおこうと思う。