生まれた場所と育った場所。そして今暮らしている場所。人生の場面場面で土地は変わりゆく。隣の市に移ったり、県外だったり、果ては国外だったり。逆の立場で、海外で生まれて、今、日本で暮らしている人も多い。土地土地で食べ物が違い、風習が違い、景色が違う。感覚的なことで言えば、匂いや空気が違うとも感じる。

 僕は青森市で生まれ育ち、今を過ごしている。市内で引っ越しをしてはいたが、その中のある町が故郷という感覚はない。やはり青森市であり、近隣の町村を含む地域であり、広く青森県である。だからこそ、地元の歴史や土地の生い立ち、昔々の人々の営みに心惹かれる。


 以前、『内(ない)』という漢字の付く地名について書いた。現在の青森市のほとんどが湿地帯であり、その湿地を半円状に丸く囲むように『内』のつく地名が存在すること。そして、アイヌ語で『ナイ』は水のある場所を指し、そこには川や沼があることなどである。

 そのうちの一つ、奥羽山脈へと続く八甲田連邦の裾に横内地区がある。横内川が流れるこの地区に、南部藩の出城、横内城があった。城主に仕える武士、亀井権六は常に愛馬と共に村を巡り、農民と触れ合い、農民たちに慕われていた。

 ある日、権六の馬は過労が祟って死んでしまう。権六は愛馬を弔うために馬頭観音を作り、毎日の様に参った。その優しさに触れた農民達は、この地域を『亀井』と呼ぶようになったという。それが現在も町名『横内字亀井』となり、字(あざ)として残っている。


 どんな地域にも、本当に些細なことでも、土地の記憶として刻まれている事柄がある。600年の時を経て実在の人物と繋がった時、僕の心は震える。