女性自衛官がセクハラ被害を訴えて、自身もテレビ画面に映ることも厭わずに、組織のコンプライアンス向上へのきっかけとして欲しいと強く求めていた。

 また、大阪地方検察局では、当時上司であった大阪きっての実力派検察官からセクハラ行為を受けていたと、時間はかかったものの、女性検察官が告発した。被害者が訴えるまでにかかった時間の長さは、辛さと悲しみの大きさに比例するようで、心が痛い。

 これらの訴えは氷山の一角でしかない。家族にも周囲にも知られたくない、悲しませたくない。また、被害者でありながら自身が恥ずかしいという気持ちから訴えない人たちの方が圧倒的に多いのだろうと思う。


 今、あるテレビ局で、二年前にタレントから性被害を受けた女子社員に関して、被害女性を守れなかったとか、タレントを降板させなかったことで結果的に加害者を擁護した事になるのではないかと問題になっている。

 社長は会見で、被害女性から事を公にせずにこのまま仕事を続けたいとの希望があったために、色々な対応に足踏みをしてしまった様なことを話していた。


 はっきりさせたい事がニつある。


 一つは、被害女性を守るということはどういうことなのか。個人情報を知られない様に徹底的に配慮した上で加害者に賠償責任を果たさせること。その上で、社員の心を守るために、局としてタレントを排除する事である。女性が事を公にされたくないのであれば、タレントにその旨を伝えて、黙って番組を降りろと言えば良い。社員に対しての加害者に怒りを強く覚えない企業は、社会の公器として失格である。


 もう一つは事件性である。


 きちんと話を聞いたのならば、状況によっては事件性が浮かび上がるように感じる。もしかしたら、公にしたくないと言われた事で、事件性があると疑われるのに目をつぶったのではなかろうか。賠償金で解決されるのは民事訴訟のレベルであって、事が事ならば当然刑事訴訟も視野に入れるべきだ。


 社員を守るということはどういうことなのか。事件を目の当たりにした時に、どういう行動を取るべきだったのか。どうして、明明白白な道筋で対応できなかったのか。

 自分達で判断が難しかったのであれば、どうして信頼できる弁護士に相談しなかったのか。弁護士には職務の性質上厳重な守秘義務が課せられている。公にされたくないという言葉に乗っかって、自分達を守ろうとしている様に見えてしまう。


 一方、この事案に対する一連の不信の元は、あくまでも上層部の一部の人間である。


 真面目に働いている人達を巻き込んではならない。