寒い冬の朝、いつもの様にタイマーでストーブはついていて、既に部屋は暖まっている。僕は、寝起きのぼんやりとした頭で、いつもの様にテレビをつけた。
すると、いつもと違う雰囲気の映像が流れていて、しかもずっと流れ続けていて、何だかピンとこなかった。言葉は叫ぶ様に何かを伝えていたが、僕には伝わっていなかった。ただ、何度も挟まれる言葉『街が燃えています』とか『あらゆるところで』とか。そして『神戸』と。ヘリコプターからの映像は非現実的で、リアルタイムの映像だと気づくまでに時間がかかったのを覚えている。
あちらこちらで上がる黒煙が街全体を覆う災害の規模を物語っていた。仕事に出かけなければいけないのに画面に釘付けになっていた僕は、神戸で大地震が起きたこと、建物が多く倒壊したこと、あちらこちらで火災が発生しているものの、道路の損壊により消化活動が進まないことを理解した。
あの日の朝の映像は、日本全国の人々、実際に揺れを感じてはいない僕らの様な遠い地域の人々にも、現実の恐怖とやるせなさと大きな悲しみを伝えた。
あれから30年経つ。思い出すと、いまだに現実と非現実の間を揺れ動く自身の感覚が蘇る。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、遺族の方々、被害に遭われた方々に、少しでも明るい明日が訪れることを願ってやみません。