(出典:NHK他)
去年6月にアマゾンの奥地の村の川の向こう岸に、イゾラドの人々が10年ぶりに現れた。数十人のイゾラドの人々に、村に駐在する保護区の監視委員らがバナナを載せた木船を差し向けて、敵意の無い事を示して接触を図ろうとする。船に群がりバナナを手にするイゾラドの人々。
その4ヶ月後、同じ場所に100人を超えるイゾラドの人々が現れた。今回もバナナを載せた船を差し向けたが、もっとないかと迫る人々。離れたところでは弓矢を手に持つ人もいて、接触を図った村の人達は、イゾラドの人々が前回よりも攻撃的に感じられたという。
先日NHKで放送された『クローズアップ現代』のオープニングVでの光景とナレーションである。僕は以前から、イゾラドの事が頭から離れず、事あるごとに、どんな小さな情報にでも耳を澄ませた。
イゾラドとは『文明と接触したことのない原住民』の事である。世界中で100近くの部族がいると推測されていた。現在では、多くの部族が絶滅したり、他の部族に吸収されたり、また、文明側に保護されて消滅したりで、50程なのではないかと推測されている。
存在が多く確認されているのはアマゾン川流域の原生林の奥地だが、それ以外にも存在が確認されている。
ひとつは、ニューギニア島の西半分にあたるインドネシア統治地域のイリアンジャヤ。世界地図を見ると、オーストラリアの北側に、恐竜が左を向いて走り出しているようなニューギニア島がある。地図表記では、真ん中に不自然な直線が引かれて東西が色分けされているのに気づいていた方も多いだろう。左(西)側がインドネシア統治で、右(東)側がパプアニューギニア統治である。
もうひとつは、アンダマン諸島。インド東部のベンガル湾、ミャンマー領土の南側に浮かぶ諸島で、インドに属する島とミャンマーに属する島に分かれる。
その他に、確認はされていないが、マレー半島と中部アフリカにも存在するのではないかと言われている。
ペルーとブラジルを流域とするアマゾン川は、世界最大の流域面積を誇る大河である。その支流は主だったものだけでも数十本に登る。南米大陸は、西側に南北に長く連なるアンデス山脈を有し、大陸規模で見た時の分水嶺となる。したがって、アマゾン川の各支流は、概ね西から東に流れながら本流に合流すると考えて良い。
この、大陸規模での『平べったさ』が、支流を含めて広く緩やかに流れるアマゾン川流域を形成し、温暖で生物多様性の宝庫となり、人々が生き続けられる原生林が存在する。
しかし、開発の波はその原生林にも及ぶ。1970年代、プラジル国内の原生林にも数本の縦貫道、横断道が交差、延伸する。そして、1980年頃からは奥地での鉱山開発も進む。こうしたイゾラドの居住域に入り込んでの開発は、彼らをより奥地に追いやり、生活環境をも変えた事だろう。そのために、時としてこちら側との接触を余儀なくされているのではないかと推察する。
今回のイゾラドの人々との遣り取りでは、少ないものの言葉の共通性があり、交流もできた感覚がもたらされたと言う。例えば『パランタ』はバナナ、『ポチャセレ』はサトウキビなどなど。
イゾラドの人々は会話の中で、『服を着た人々』は『悪い人々』と話していたと言う。保護区の監視委員は、おそらくは木材の不正伐採による密売業者であろうと。政府は取締りをしているものの、撲滅には至っていないとも。彼ら密売業者が原住民に対して銃などで命を奪う暴力を振るっているのは容易に想像できる。
1987年5月、ブラジルの原生林で二人のイゾラドが保護された。二人が話す言葉は、ほとんどの部族の言葉を理解できる通訳者ですら理解できなかった。まさに、未知の部族である。便宜上、二人はアウルとアウレと名付けられた。じっくりと信頼関係を築き、六ヶ月後にようやく車に乗せ、保護居住区に連れて行く事ができたと言う。
その後、誰とも言葉が通じないアウラとアウレは、トラブルを起こしては各地の保護居住区を転々とし、13ヶ所目でようやく落ち着く事ができた。皮肉なことに、最も急速に文明化が進むアワ族の保護集落だった。
3つの先住民の言葉なら完璧に話すことのできる言語学者ノルバウ・オリベイラ氏は、政府の依頼で早くから二人と接触し、言葉の解明を目指した。政府から報酬が提供されたのは接触当初だけだったが、その後も集落で教師をしながら彼らに寄り添い過ごした。30年近く経ち、名詞を中心に800程の単語は分かるようになったが、未だに、分かっている名詞を繋ぎ合わせて内容を想像していると言う。
アウラの話す事には何度も繰り返される内容があり、『空』『大きな音』『火花』『死』などの単語が頻出する。さらに『お父さん』と聞くと『死』、『お母さん』と聞いても、『子』と聞いても『死』と帰ってくる。そして『ふたり』と『歩く』。
読んでいる皆さんも同じ想像をしていると思う。おそらくだが、大空を飛ぶヘリコプター、そして銃による家族や仲間の死。アウレと二人での逃避行。
発見から25年が過ぎ、アウレが死んだ。病院での治療も虚しく。末期癌だった。
足を痛めてびっこを引いているアウラは既に猟もできす、三度の食事も全て居住区で支給されている。アウラは放送時(2018年)、推定で60〜65歳。一人となったアウラの話す言葉は、現時点で世界中でアウラ自身しか理解する事ができない。もしもアウラがこの世を去ると、一つの部族、一つの言葉がこの世界から消滅する。
今、国際社会での論争は新たな段階に入ったと言って良い。イゾラドに対して、その定義を『文明との未接触』から『隔絶された人々』へと変えた。空に飛行機は飛び、遠くで車は走る。彼ら側からみて決して未接触ではあり得ない。故に、遠くで文明に触れたとしても自分たちの生活を変えずに独立して生活する人々だと再定義された。
国連は、2007年に「先住民の権利」を総会決議で採択した。その中では、いかなる先住民も「孤立したまま暮らす権利」が盛り込まれている。イゾラドのみならず、地球上の3億人を超える先住民族に対する指針が初めて示された。
一方、ブラジルのトランプとして有名な強行政治を貫くルーラ大統領は、先住民の生活、居住権を認めず、開発を重視する強硬政策を発動した。経済的な困窮を解決するためには先住民など排除しても構わないと言う。しかし僕には裏が透けて見える。利益の追求を最優先する開発企業に取り入って政権を安定させようとしているに過ぎない。
抗議活動や裁判を経ながらも、ルーラ大統領は権利を回復して、今も尚その座に留まっている。
NHKの取材班のディレクターは言う。アウレの目が、彼の表情が忘れられないと。上辺では口元に笑みを作るが、その目にはいつも緊張がある。危害を加えない沢山の人と出会っても尚、文明人に対する恐怖がぬぐい切れない。虐殺の体験がいかほどのものだったのか。その恐怖、悲しみ、怒りが忘れられないのだろう。
人は、ひとは、ヒトは、形が同じでも何者か知れない相手に対して、恐れを抱き、全身全霊で防御をする。そして戦う。とても勝てないような相手でも。命を奪われないために。
アウラとアウレの暮らした森を見つけたという。既に開発され牧場になっており、昔の姿はない。
それでも命は生きようとする。
たとえ伴侶がいなくても。
たとえ子孫を残せなくても。
自らの命がある限り。
僕達には彼らを静かに見守る義務がある。
(編集後記)
今回、イゾラドの人々について書くに当たって、世相や国家主観には一切配慮をしなかった。あくまでも個人の権利、人として生きる事の尊厳だけに思いを馳せた。
10年ほど前に初めてイゾラドのトピックスに触れた時は、驚きに加えて、不思議なものと出会った興味しかなかったと思う。地球上に原始のままに生きている人々に対して抱いた感情は、ネッシーや雪男に対して感じるものと同列にあった。
しかし、考えを繰り返して巡らし、部族、民族として消えて欲しくないと思うと同時に、二度と僕たちの前に姿を現さずに平和に生きてほしいと思うようになっていった。
いざ、接触して『こちら側』にきてもらう事があるならば、権利や主義を損なわずに心豊かに生きて欲しいと思う。
『月』人も『火星』人も恐らくは存在しない。しかし、もしも、もしも存在したとするならば、接触すらしない方がいいのかも知れない。
今、ここに、地球上の全ての人々の幸せを願いたい。