いつもの様に、2年半前に訪れた記憶に残る風景を少しばかり甦らせ、思いを巡らせてみたい。


 嵯峨野は、修学旅行の自由見学で訪れた思い出の地である。当時行けなくて二年半前の家族旅行でようやく訪問を果たした苔寺(西芳寺)や銀閣寺(慈照寺)とは違い、高校時代の記憶が重なる。


 祇王寺は山裾に建っている。茅葺きの山門をくぐって敷地に足を踏み入れると、更なる静けさに包まれる。竹林や裏山に接するこじんまりとした庭は、少し起伏のある小径が続き、時折しゃがみ込んで苔を楽しんだりしながらゆっくりと散策できる。

 少し開けて本堂が現れる。心地よい風に揺れる青紅葉(あおもみじ)の隙間から、濃密な青空が溢(こぼ)れる。僕は余りの美しさに立ち尽くし、空に向けてシャッターを切った。

 草庵には祇王とその妹の祇女、祇王の後に平清盛の寵愛(ちょうあい)を受けた仏御前、平清盛を加えて四体の木像が安置されている。


 歌い、舞う、美しい姿の白拍子。先に平清盛の寵愛を受けた祇王は、17歳の仏御前を彼に引き合わせる。以降、清盛の心は仏御前に移り、21歳の祇王は出家して、母と妹と共に祇王寺に入る。しばらくして仏御前も清盛の元を離れて出家して祇王寺に住まうが、程なくして故郷に戻り、21歳で生涯を終える。

 僕は祇王寺を訪れると悲しい気持ちに包まれてしまう。今も書いていて涙が滲(にじ)む。偽りの現世とも言える清盛の寵愛。農を営み育てる。はたまた、歌い、舞う。いずれも心は自由で、自分が為した分の実入りを持って己の生を繋ぐ。清盛の身勝手な好色に振り回された人生は実感を伴わない一瞬の栄華でしかない。


 祇王は寵愛を受けている最中(さなか)、権力者である清盛に懇願し、現在の滋賀県にある生まれ故郷の村の水不足を解消するために水路を作ってもらう。


 その水路は祇王井川として今も残り、人々は遠い遠い平安を生きた白拍子を思う。


注釈) 祇王の名は妓王、義王とも書き表されるが、今回は寺の名称と合わせて祇王とした。