今年のNHKの大河ドラマ『光る君へ』は一大ブームを巻き起こした。中でも藤原氏の勢力の強さに改めて驚いた人も多かったであろう。


 今回は、藤原氏の権勢の後を含め、覇者の氏(うじ)について書いてみようと思う。


 天皇家が遠く神代の天照大神(あまてらすおおみかみ)を祖とするのに対し、藤原氏は神代の天照大神直系以外の神々の子孫と考えて良い。勢力を広げる中で皇室と繋がってゆくが、天皇家を祖とはしない。

 では平氏と源氏はどうだろう。両氏ともに天皇家の血筋でありながら、皇室の籍から離れて家臣となる『臣籍降下』で氏(うじ)を賜った氏族である。ご存知の通り、天皇家は姓を持たない。


 藤原氏の時代の後、下級官吏職の平氏(たいらうじ/平家)が台頭し、栄華を誇る。平氏は祖とする天皇により様々な流れがある。中でも歴史上知られているのは桓武(かんむ)平氏で、古くは平将門であり、関東で猛者ぶりを発揮した豪傑である。しかし、自らを神皇と呼び波乱を呼ぶなど、その振る舞いが行き過ぎ、朝敵として首を取られる。時を経て、同じ桓武平氏の平清盛は天下を取るほどの勢いで政権を握り、『平家にあらずんば人にあらず』とまで言わしめた。その平氏は後に源氏に倒される。


 源氏も祖とする天皇にまつわり、系譜が分かれる。源氏二十一流と言う。一番大きな系譜が、清和(せいわ)天皇の子孫が源(みなもと)氏を賜った清和源氏である。

 清和天皇の六男の子(天皇の孫)が『臣籍降下』した源経基(みなもとのつねもと)を祖とする。四代後の八幡太郎義家は武勇で活躍し、更に四代後の源頼朝が鎌倉幕府を開く。

 この清和源氏の系譜には足利尊氏がおり、やがて源頼朝が開いた鎌倉幕府は足利尊氏に滅ぼされる。長期政権となった鎌倉幕府に不満を持つ氏族達をまとめ上げたのが同じ清和源氏である足利尊氏だった。


 藤原氏の時代の後、皇室を離れた氏族である平氏、源氏、足利氏が時代を作り上げてゆく。

 徳川家康は元々三河(愛知県)の小豪族だった松平氏だが、徳川に改名する時に清和源氏である得川氏の系譜であるとしたが、史学上立証されていない。


 ちなみに、織田信長は桓武(かんむ)天皇を系譜の祖とする桓武平氏に源流がある。