先だって、弘前城本丸の石垣工事が大きなひと段落を迎えた。本丸の南東側の角に建つ天守閣の土台を支える石垣の最後のひとつを積み上げたのだ。一旦組み外した従来の石と、使えなくなって新たに削り出した石60個、合計2185個の石を積み上げた。


 2016年、工事は天守閣を移動させることから始まった。工事を担当した山形県米沢市の我妻組の曳屋の若き棟梁は、移動が完了した時に涙を流していた。もし途中で頓挫したら、もし途中で建物に歪みや損傷が起きたら、心配事は尽きなかっただろう。その重圧は察するに余りある。

 そもそも石垣修理が始まったのは、土壌が圧力によって徐々に外側に膨らむ『はらみ現象』によるもので、放っておけば石垣が瓦解(がかい)、天守閣が倒壊する危険があったためである。そこで、天守閣を移動させて石垣の石を全て組み外し、土を固めて補強し、また石を組み上げたのである。

 来年の桜祭りが終わると、元々天守閣のあった場所に造られた展望台を撤去し、再来年、2026年に曳屋の作業で本来の位置に戻す。


 日光東照宮の普請時に集められた宮大工はその技術を持ってして家具職人になり、日光の建具産業を支えた。石垣を積む石工(いしく)達は、城が建つことによって周辺の商人など町人の住まいの石垣なども組むようになる。


 新しい技術は常に開発され進化し、一般の住宅であれ鉄骨造りの建物であれ、それら新しい技術と新しい工法によって建てられる。


 そんな中、曳屋が堂々と活躍し、石工の皆さんが持てる技術の全てを注いで成し遂げられる石垣工事は、今の時代には勿体(もったい)無いくらい清々しい光を放つ。