僕はラーメンが大好きである。ひとりの昼ごはんとなると、どうしてもラーメンになってしまう。若い時、お昼に大盛りラーメンを食べ、夕方も同じ店で大盛りを食べ、飲んだ後の〆で、また大盛りを食べたことがある。一日三回同じ店で同じ煮干しラーメンの大盛りをである。
実は今日も一人でお昼のラーメンを食べた。美味しく食べていたところ、隣の席で年配の女性たちが少し揉めていた。一人が「私が払うから」と言って勘定書きをを持ってレジに行こうとしたところ、「いい、いい。自分で払うから」と断っていた。払うと言った女性はスタスタと歩いて行ってしまい、残された三人は揃って一人一人で払いましょうと準備をして席を立った。
僕の座っている席から少し離れたレジ周辺で、ガヤガヤゴソゴソ聞こえてきていたが、やがて店を出て行き、静かになった。
僕も奢ることもあれば奢られる時もある。後輩であったり先輩であったり、部下であったり上司であったり。場面は様々で、帯びる感情も様々である。負の感情として一番多いのは奢ってもらう理由がないと言う事ではなかろうか。
そもそも『奢る』と言う言葉は『驕(おご)る平家は久しからず』と言われた様に、お金や権力を人より多く持つ事により、傲慢で身勝手な振る舞いをする事である。意味もなく他人の分の支払いをする事は高潔な行動を意味するものでは決してない。ただ自分の立ち位置を皆んなより上にしたいだけの浅ましい行いである。
個人的な相談やお願い事があって半ば無理に来てもらった事へのお礼とか、周りの人のために大変な思いをして行動をしてくれたお礼とか、『お返し』の意味で支払いをする事は当然ある。
しかし、同等である筈の友人から唐突に『奢られる』のは気持ちのいいものではない。
人の分を支払うのはそれなりに理由が必要で、その事をはっきりと相手に伝えて、了承されてからするべきである。
当然相手も様々な感情を持つことを忘れてはいけないと思う。